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2024/11/21 14:02 |
立川談志 死去
もうニュースとしては、もう古くなってしまいましたね。
つい先日、立川流家元
立川談志が亡くなられた。
享年75歳

戒名は、自分でつけたという、

「立川雲黒斎家元勝手居士」

通夜、葬儀は全て身内で済ませてしめう徹底ぶり。

newsポストセブンというサイトでは、

週刊ポストで『噺家のはなし』連載中の広瀬和生さんが談志家元の名演として、次の5席を挙げている

1.居残り佐平次
2.粗忽長屋
3.三軒長屋
4.芝浜
5.紺屋高尾

アタシとしては、

1.黄金餅
2.明烏
3.鼠穴
4.へっつい幽霊
5.芝浜
このほかで言うとやかんもいいな。

アタシが最後に生で家元を観たのは、越谷でやった三枝さんとの二人会でした。
相当、調子が悪くなっていて、「談志の最後を見たと思って勘弁して下さいね」と言われた事を記事で書いてある。

アタシたちは、先に亡くなった圓楽さん、志ん朝さん、そして談志さんといった、いい落語家さんを、いいコンディションで、オンタイムで聴くことができた。

これは光栄なことだった。

語りたい事はやまほどある。

語って欲しかった事も山ほどある。

ただ、語りつくせぬ事を語らぬまま、家元はとっとと、この世におさらばしてしまったのは、らしいのかな?

さて、「現代落語論」でも読み直してみましょうか?
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2011/11/29 17:06 | Comments(1) | TrackBack() | 落語
いとしこいしの噺の噺
夢路いとし・喜味こいし

最近、こいし師匠が亡くなって、今さらながら、「いとこい」漫才はもう生で触れることはなくなってしまったんだなあ、と実感。

実は、2003年には、いとし師匠は亡くなってしまった段階で、もう2人の漫才はできなかったわけなんだけど、なんとなく、どちらか師匠が生きているだけで安心していたのは、漫才ファンの怠慢だったんでしょうね。

「ダイラケ」さん(中田ダイマル・ラケット)といい、「いとこい」さん(いとし・こいし)人生幸朗・生江幸子のご両人、もちろん「やすきよ」(やすし・きよし)も含めて、上方漫才って、どうしてあんなに面白かったんだろ?

NHKの「上方演芸会」を毎週楽しみに聴いていた、子供時代のアタシ。

アタシは正確に言って、ダイラケやいとこい世代ではないのかも知れません。
子供の頃には、漫画トリオ・かしまし娘を聴き、売りだし中だった「やすきよ」から紳助・竜助、B&B、ザ・ぼんちを聴いて漫才ブームに飛び込んだ世代なんでしょうけどね。
アタシは、いとこいさんが好きでしたな。後年、サブロー・シローの物まねで、妙に「「10万円、7万円、5万円、運命の分かれ道!」ってフレーズが耳に残ってしまった。

このいとこいさんが司会を務めた「がっちり買いましょう」を見ていたかは記憶にない。

そして、本当に不思議な事なんだけど、こんなに好きだったいとこいさんの漫才のネタを、アタシは覚えていないのだ。

ダイラケさんなら「青火がぱあ~、ボヤがぼお~」が浮かぶんだけど、なんでだろ?

その妙な印象の薄さって何だったんだろう。

いまとなってはそれさえ懐かしい。


…今回は上手い話ができなくて申し訳ない。






2011/02/24 15:37 | Comments(0) | TrackBack() | 漫才
圓楽ではなく円楽で…
楽太郎さんが、2010年3月1日に6代目三遊亭圓楽を襲名した。

当時は忙しくて、一切何も書かなかった。
楽太郎さん時代の噺では、何を聞いたのかなあ…。
厩火事だったかなあ。
そうそう、宗論だ。

「お父様ぁ、主を信じましょう!」ってヤツね。

これはキリスト教にかぶれた息子の喋り方がなんとも言えず可笑しかった。やり過ぎでない。「クスッ」っと笑いたくなる可笑しみね。

どうなんでしょうね。
先代の圓楽さんで、どんな噺がいい?と挙げると、
「仲村仲蔵」「厩火事」「濱野矩随」「目黒のさんま」「薮入り」…
アタシも、先代の影響から抜けてないからかも知れないが、
当代の圓楽さんの代表作ってなんだろうな。

元弟子の伊集院光さんによれば、楽太郎時代「オレは名人になれないから達人を目指すんだ」と言っていたとか…。

達人圓楽の代表作を聴きたい。
アタシが聴いてないだけで、実はもうあるんだろうけどね。

題名の意味ですか?

楽太郎さんが圓楽を継ぐと決まったときに、先代と違う圓楽と言う事で寄席文字の「圓」ではなく「円」の字を使いたいといったとか…

どちらでもいいと思うんだけど、先代との差別化かなあと理解してます。

2010/05/04 20:13 | Comments(0) | TrackBack() | 落語
家元談志のつぶやき
「糖尿病の療養のため昨年8月から活動を休止していた落語家の立川談志(74)が13日、東京・新宿の紀伊国屋ホールで行われた「立川流落語会」に出演、高座に復帰した。
 「首提灯」など古典落語メドレーで約400人の観客を沸かせたが、ガラガラ声の調子が不満だったらしく、終演後の会見では開口一番「もう駄目ですね。“高座の声”が出ませんよ」と弱音。「別の談志がオレに“引退した方がいい。お疲れさま”と言ってるようだ」とため息をついた。」


談志家元の「もうダメだ」は去年も聞いた。
越谷の落語会で「やかん」を聞いたときには、恐ろしいくらい元気がなかったなあ。

「黄金餅」とか、「芝浜」みたいな長いネタを振るのは無理かも知れないなあ、と思ってたわけで、アタシ的には家元が高座に立ってるだけでも、「まあ満足」なんだけど、本人的には許容できないよな。

小さん師匠は間に合わなかった。馬楽師匠は品川心中を聴いた。志ん朝師匠は幾代餅を聴いた。談志家元はこの前の「やかん」が最後になるのかなあ。
「首提灯」かあ。
聴きたかったなあ、

2010/05/04 19:35 | Comments(0) | TrackBack() | 落語
火焔太鼓は、誰の噺がいい?
TBSラジオで「火焔太鼓」を古今亭志ん生で聞いた。
もう、散々皆で名人上手ともてはやしてる志ん生落語だから、
誰もが一度は聞いているんじゃないですかね?

アタシだって志ん生さんは好きですから、以前もこのブログで「黄金餅」の事を書いた気がします。
この「火焔太鼓」はまさに18番とも言える作品で、
これ(志ん生の噺)が一番と言う人は多いんです。
実際に、この噺を現在の形にしたのは志ん生さんだそうです。

ただね、アタシ自身はこの「火焔太鼓」春風亭柳朝さんで聴いていまして、これが良かったんです。
志ん生さんは、多少もごもごしていましたが、ふわふわと独特のおかしみがあって、間抜けな道具屋のオヤジをそのまま演じていましたが、
柳朝師匠は、口調もはっきりした方で、テンポも早く、オヤジをはじめとした登場人物の輪郭がはっきりしているように思え、こちらの方が好みだったんです。
志ん生さんの息子である志ん朝師匠も同じような感じで、はっきりと演出していたと記憶しています。(今度テープで聴きなおしてみよう)

一分で勝った太鼓を金三百両で買おうと持ちかけられた甚兵衛さんの驚きようの表現を柳朝さんは、志ん生演出と違って、
「う・売るよ、売るよおっさん!」とわざとめちゃくちゃなセリフで気が動転した様子を演じていたのが特に印象的でした。

今でも、アタシは柳朝師匠の「火焔太鼓」が好きです。
彼の弟子は小朝さん…少し個性が違うから、同じ演出にはならないでしょう。

少し残念です。

2009/12/30 02:10 | Comments(0) | TrackBack() | 落語

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