ボクは子供時代、テレビで寄席中継や、テレビのスタジオでやっている演芸を見ていたわけだが、
その頃のスターは「爆笑王」林家三平
どこのテレビにも出ていたアノ人。
「ドーモすいません」って言ったらみんな同じポーズをできるはず。
今でこそ、アノ人は偉かった凄かったとみんなで言うけど、
テレビで見ていた人はほとんど「クダらない」「馬鹿馬鹿しい」と言いながら笑っていました。
昭和30年代~40年代当時でさえ、そうでした。
ましてや、亡くなる晩年においておや、です。
アノ人が本当に凄かったのは、
大病をして復帰して上がった高座で、
昔と全く同じ芸を見せたって事。
昔と同じ芸と言っても、普通の芸人とは違う。
三平さんは、昔と同じ小噺をつなげるギャグをやったんですよね。
これが凄い!
その時の高座はテレビで流れたはずです。
「どうもすいません」
「もう大変なんすから」
「好きです、好きです、よし子さ~ん、ってご存知です?お嬢ちゃん!」
「アタシがこうやったら笑って下さい」
「ホント、身体だけは大事にして下さい」
「こっちから向こうのお客さん、笑いが少ないすよ。お願いすから」
不思議なもんで
上のような言葉(フレーズ)を適当につなげると何となく三平さんの落語に聞こえちゃう。
師匠の高座が目の前に浮かんでしまう。
正月になったらこのギャグの中に
「棚から物がおっこって『元旦』(ガッタン)」といった小噺?が必ず入る。
他には電気サルマタの話もあったっけ?
三平師匠の噺を聴いているお客さんみんながそのフレーズも小噺のオチも知っている。
なのに聴いてて笑ってる。
ボクの年代以上の人は多分みんな三平さんのギャグを覚えてる。
くだらない、くだらないと言いながら、
みんな三平さんが好きだったんですよね。
「本当にクダらない」
寄席で見たかったなあ。
S55年死去。
ボクが覚えている三平師匠の噺は「源平盛衰記」
ところで、
三平師匠のしゃべり方は、息継ぎも、間の取り方も独特で、
これは今の正蔵師匠も継いではいない。こん平師匠でもない。
たとえが適当じゃないかもしれませんが、
あえて言えば、
三平さんのしゃべりは、声も含めて今ならキャイーンの「ウド鈴木」に近いです。
どーです?似てませんか?
その頃のスターは「爆笑王」林家三平
どこのテレビにも出ていたアノ人。
「ドーモすいません」って言ったらみんな同じポーズをできるはず。
今でこそ、アノ人は偉かった凄かったとみんなで言うけど、
テレビで見ていた人はほとんど「クダらない」「馬鹿馬鹿しい」と言いながら笑っていました。
昭和30年代~40年代当時でさえ、そうでした。
ましてや、亡くなる晩年においておや、です。
アノ人が本当に凄かったのは、
大病をして復帰して上がった高座で、
昔と全く同じ芸を見せたって事。
昔と同じ芸と言っても、普通の芸人とは違う。
三平さんは、昔と同じ小噺をつなげるギャグをやったんですよね。
これが凄い!
その時の高座はテレビで流れたはずです。
「どうもすいません」
「もう大変なんすから」
「好きです、好きです、よし子さ~ん、ってご存知です?お嬢ちゃん!」
「アタシがこうやったら笑って下さい」
「ホント、身体だけは大事にして下さい」
「こっちから向こうのお客さん、笑いが少ないすよ。お願いすから」
不思議なもんで
上のような言葉(フレーズ)を適当につなげると何となく三平さんの落語に聞こえちゃう。
師匠の高座が目の前に浮かんでしまう。
正月になったらこのギャグの中に
「棚から物がおっこって『元旦』(ガッタン)」といった小噺?が必ず入る。
他には電気サルマタの話もあったっけ?
三平師匠の噺を聴いているお客さんみんながそのフレーズも小噺のオチも知っている。
なのに聴いてて笑ってる。
ボクの年代以上の人は多分みんな三平さんのギャグを覚えてる。
くだらない、くだらないと言いながら、
みんな三平さんが好きだったんですよね。
「本当にクダらない」
寄席で見たかったなあ。
S55年死去。
ボクが覚えている三平師匠の噺は「源平盛衰記」
ところで、
三平師匠のしゃべり方は、息継ぎも、間の取り方も独特で、
これは今の正蔵師匠も継いではいない。こん平師匠でもない。
たとえが適当じゃないかもしれませんが、
あえて言えば、
三平さんのしゃべりは、声も含めて今ならキャイーンの「ウド鈴木」に近いです。
どーです?似てませんか?
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も、正面上は「くだらない」といわれがちな三平師匠に比べるとウスッペラに見えたものでした。(当時小学生のわたしでも)それだけに、弟子には決して継承できず正蔵・こん平は師弟関係のみの存在でしかありません。
わたし的には、対抗馬は粋な円生か天才談志でした。