前にも言ったが、初めて入った寄席は、「上野鈴本演芸場」
漬物屋と間違えた。
上京してまだ2週目、日曜日鈴本の昼席にいったのである。
たぶん中入りで、古今亭圓菊師匠が「たらちね」か「替わり目」をやっていた。
昼席のトリは圓蔵師匠の「反対車」か「堀の内」だったんじゃないかな?
しかし、初めて寄席に来たボクの興味を惹いたのは
順子・ひろしのなんとも可笑しい漫才であり、
やなぎ女楽師匠の独楽回しだった。
両方とも、爆笑というわけではない。
くすっと笑ってしまう技である。
この加減がいい。
大爆笑をとってしまったら、トリをとる落語家を食っちまう。
そんなわけで、ボクの鈴本詣でが始まったわけです。
…では、続きはまたいつか
今、テレビに出てくる「お笑い芸人」は、あきらかに歌手や俳優などと同じ「タレント」でくくられる。
彼らの芸は寄席なんてダサイ場所ではなく、クラブやライブスペースで行われる。
だから彼らのお笑いはライブと呼ばれ、この点に関しても、歌手、アーティストと変わらない。
一方でタレント、アーティストの側も、MCなどに「お笑い」のネタを散りばめ、ファンをひきつける。
もともと感性の鋭いタレントの事、談志師匠ではないが、「人間の業を肯定」し「現代」をライブに語る彼らは、寄席芸人、特に落語家が、かつて担っていた部分を受けつごうとしている。それだけ寄席芸人が現代から離れてしまったとも言えるのだが。
彼らには流行を追う目がある。ジャニーズのタレント~特にSMAPあたりにはいいブレインも付いている。
彼らのコントは、下手な若手お笑い芸人のレベルを超えていると思う。
女性だって、ハロプロのタレントたちや、サンズ(イエローキャブ)のグラビアアイドルなど、お笑いやバラエティを志向するタレントも多く存在するわけでネ。
「めちゃイケ」や「はねとび」のメンバーたちや、「笑金」「エンタの神様」に登場する芸人?たちには、
アイドル並の声援が飛ぶ。実際彼らのファンの感性はジャニーズファンと全く変わらない。
お笑い芸人達はファッショナブルで、時代の波に乗っているのだから、確かに立派なアイドルである。
ただ、オジさんはその波に乗っていないんだなこれが。
楽屋話、時事ネタ、そして客いじりに見られるライブ感覚に強い彼ら。
しゃべくりという基礎が弱い。
作品としての型がない。
芸人としての「何か」を感じない。
「何」なんだろう?
確かにボクはダウンタウンのよくわからないまま笑わせてしまう「才能」の漫才で受ける。
アンガールズの不可解なコントでも笑いのネタを何とか見つける。
さすがにムーディ勝山には5年後残っててくれと願わずには居られないが。
でも、その一方で、ネタを見なくなった人気芸人も多い。
ナイナイやロンブーは最近コントを見ていない。爆笑問題はエセ文化人になっちまった。
くりーむしちゅーもさま~ずもボクにとってはテレビの司会だ。芸人じゃない。
つまり、ネタやらなくても人気者は人気者だ。
それでいいのだ。
でも、これはつらい。
ギャグは才能
でも才能は磨り減る。
ネタはセンス
でもそれらは鮮度が落ちる。
「笑わせる」というのは本当に難しいし、それだけに尊敬に値する芸だと思う。
だからこそ「軽くて微妙な」今のお笑いブームには不安を禁じえない
現に「笑金」は放送を終了するそうだ。
これはブームじゃなくてバブルじゃないか?とボクは心配している。
ガッカリだよ!