立川談志家元の現代落語論によれば圓蔵ではなく「エンゾー」なんだそうだが、
圓蔵師匠が月の家圓鏡と名乗って「お笑い頭の体操」に出ていた頃、
ボクは「テレビ演芸」で、圓鏡の「堀の内」を聞いて文字通り抱腹絶倒笑い転げた記憶がある。
師匠、お客をいじりながらその一体感を盛り上げ、テンポよく話の中に引きずり込む手法は独特。
「根岸」と呼ばれていた爆笑王の先輩、林家三平師匠は高座からお客に話しかけたさきがけだと思うが、
その客の心をつかむ天才だった。
圓鏡師匠は、別な意味で天才。この人には三平師匠にはないテンポと、不条理なまでのギャグがあった。
そして観客とのライブ感。
無理やりにでも笑わしてやる凄さがあった、とは言いすぎか…。
ラジオ番組で圓鏡の名前を聞かない日はない時期があったナ。
「早いのがとりえ」ってね。
これは「お笑い頭の体操」か
東京に出てきて、鈴本の昼席のトリが圓蔵師匠「反対車」
違う日に新宿の末広亭昼席終了後偶然テレビ番組の公開収録があって、
ボクの前に山本益博が座ったわけなんだが、それはいいとして。
この日の出演者は…と見ると高座に円蔵師匠が登場。
ネタは…やっぱり「反対車」
同じ月に2回同じ噺を聞いたのも珍しいが、微妙に違うギャグを使いわけていたっけ…。
さすが爆笑王。
談志、圓楽、志ん朝と並んで落語の若手四天王と呼ばれていたっけ。
今、寄席に残っているのは圓蔵師匠一人だけ。
時の流れは無常ですね。
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