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2024/11/21 19:27 |
地方まわりの芸人達の思い出(ボン・サイト他)
昔、アタシの家族は大晦日を温泉旅館で過ごしていた。
我が家は北海道の札幌で、父方の田舎が定山渓という温泉場にあったからだ。
昔は豊平駅から定山渓鉄道に乗って行ってたが、その後この鉄道がなくなると、後を継いだ「じょうてつバス」に乗って定山渓温泉に行ったのである。
正月を迎えるのは家族だけのこともあったけど、賑やかな事の好きな親戚連中も加えた大所帯で移動することもあった。
「定山渓ホテル」であったり「鹿の湯」であったり、「章月グランド」であったり…。
子ども心にも、大晦日は大イベントで楽しかった。
何よりも、夜更かしができたナ。

…えーと、アタシは普通に昔話をしたいわけじゃありません。
昔話は別の機会に別の場所でしたいと思います。

このブログに沿った話をすると、
こういう温泉場には、必ず地方周りの芸人さんが来ていたのね。
今で言うとスーパー銭湯のショーみたいなモン。
今では絶滅した感のある「ヘルスセンター」にも来てたっけね。
名前の知れた落語家のような芸人さんが一人、あとは手品師、色物芸人、音曲漫才…。
大宴会場で、ビールを飲んだり飯を食べている人達を前にして、合間にフィリピンやタヒチアン・ダンスのショーを見せて、邪魔にならない芸を見せていた。というか、タヒチアンショーの合間に演芸を見せていたと言った方がいいかな?
手品師たって美女が宙に浮くみたいなものを見せてくれるわけじゃない。
お客さんを舞台に上げて自分の手を後手にきつくひもでしばってもらい、そこからえいっと手を抜いてみせるというものや、箱の中からハトやボールを出したりするだけの、文字通り奇術、手品としか言いようの無い芸です。
そう、ゼンジー北京さんみたいな芸。

それとか正月になると太神楽があったな。
西洋風に言うとジャグリングね。
唐傘と鞠の芸。
地味に感心していた。

漫才は…売れてない芸人ってやっぱり受けない。本当に笑いが出ない。
芸だけ見れば別にそんなに悪いものではないのに、である。
アタシが見ていたその漫才師さんは染千代、染団子という女性2人組の三味線漫才。お名前の通りで染千代=美人、ツッコミ、染団子=不美人、ボケという役回り。もう40年くらい前なので、亭号も忘れてしまって、探そうとしても見つからないんだなこれが。

当時の芸人でおぼえていたのはトロンボーン漫談のボン・サイトさんくらい。このときはボーン時田と言っていた気がするが、この辺りの記憶は薄いね。ただこの時彼のやった芸は覚えていて、両手を離して口の上にトロンボーンを乗せたまま曲を吹きながら、空いた両手で楽器の脇についた糸?をスルスル引くと万国旗が揚がるというもの。

この人が会場で一番受けてましたっけ。

その後ン十年が過ぎてから、寄席で見る事ができたのは、このボンサイトさんだけでした。

演芸って厳しいやね。

当時のアタシは世の中テレビやラジオに出るような芸人しかいないと思ってたもんな。
地味に地方で余興みたいな営業している芸人がいるってのを初めて知った小学校中学年のことだった。
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2007/08/08 14:22 | Comments(0) | TrackBack() | 想いゴト

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