文化放送「立川志の輔『落語でデート』」
本日は、「目黒のさんま」やってましたね。
演者は、先代の三遊亭金馬師匠。
本題に行く前に、昔の殿様~特に太平の世にぽ~っと育った世間知らずのお殿様の話を長くしてました。
「片仮名のトの字に一の引きようで上になったり下になったり」
昔の御身分の高い方々は、下々の庶民の生活はご存じない。だから常々少しでも知りたいと思っておりますね。
「三太夫」
「はは、」
「今宵は十五夜であるな」
「左様に御座います」
「お月様は出て居るか?」
「…畏れながら、申し上げます」
「なんじゃ」
「『お月様』とは下々の用いる言葉、殿は大名であらせられますれば『お月さま』ではなく『月』と呼び捨てになさいませ。」
「儂が『お月様』と申すのは可笑しいと申すか?」
「和歌・敷島の道におかれましても『月』と一言にござります。」
「そうか、では今一度尋ねる。三太夫!」
「はは」
「月は出て居るか?」
「一点隈なく冴え渡ってございます」
「して星めらもか?」
…「星めら」ってこともないでしょうに…
上の人には下々の暮らしはわからないし、下々には上つ方の暮らし向きはわからない。これがこの噺の一つの大きなテーマ。
「目黒のさんま」とは、とある殿様が家来を連れて中目黒に遠乗りに出た際、空腹に耐えかね、初めて食した秋刀魚の旨さを忘れられず、親戚の御呼ばれで夕餉の希望を尋ねられ「余は、秋刀魚を所望じゃ」とやったことで起きるトラブルのようすを可笑しく語ったものです。
しかし、落語の殿様は「可愛い」んですね。もちろん演者の解釈にもよるでしょうが。
秋の味覚の代表である秋刀魚を知らなかった殿様の滑稽、そして親戚の御呼ばれで予想外の秋刀魚という注文を受け、パニックになった末、「お体に障ってはいけない」ってんで、折角の秋刀魚をわざわざ蒸して油を抜き、さらに骨を抜いて出し殻になったものを出す親戚。その旨くもなんともない「秋刀魚」を食べさせられる殿様を笑う話なんだけど、
何だか殿様がかわいそうになる。
考えてみれば、殿様が遠乗りで秋刀魚を食べたことが知れると家来に迷惑がかかると注文ができない。おそらくオチで「秋刀魚は目黒に限る」と言ったところで、彼はその秋刀魚の抜け殻を美味しいと言って食べなければいけない。箸がつかなければ、調理にあたったものやその家の家老達が叱責を受けてしまう。
ようするに殿様たちは「皆に迷惑をかえてはいけないため」ぽ~っとならざるを得ないのだ。こんな悲しい生き方があるだろうか?
現代に置き換えれば比較できる家はひとつしかない。
あの一族の方々は、今だって落語の殿様みたいな生活をさせられている。
例えば、昔皇太子が学生時代、仲間と山登りに行った時のこと、食事中仲間の一人が何かの弾みで飯盒を落としてしまった。その時周囲は大爆笑だったのだが、皇太子だけは黙って目をそらされたそうだ。
彼は、他人のドジを笑ってはいけないのである。見ないふりをしなければいけないのである。
上つ方も大変なのである。
この噺、殿様という「立場」の悲哀を表したものです。
「秋刀魚」は美味しい魚です。それを周りの人が下々の食す魚だというだけで食べさせない。従って暗愚な殿様ほど不憫なものはないと言うのがこの噺の別なテーマでもあります。
アタシは金馬師匠と圓楽師匠のものを持っていたはずなんだけど、金馬さんのは見つからない…残念。
そう言えば、今この落語にちなんで「目黒のさんま祭り」というのがあるんだけど、これが二つあって本家争いをしているらしい。
今年も9月半ばに駅の西口と東口で行われました。
一つは目黒駅前商店街振興組合青年部の主催で、
岩手県宮古港直送「炭焼さんま食べ放題」と「新鮮さんまお持ち帰り」(5000匹用意)それに徳島県神山町産の「芳醇すだち」(10000個用意)と、栃木県那須塩原市高林産の大根「大根おろし」付き。
もう一つは目黒のさんま祭気仙沼実行委員会の主催で、
名前の通り気仙沼港に水揚げされた5000匹を目黒まで直送、気仙沼市三日町・平野本店の醤油、昆貞本店の豆腐、有機質百%の高品質肥料「弁天魚粕」で栽培された美味しい大根、気仙沼の綺麗な海水を煮詰めて作った天然塩とこちらは気仙沼づくし。こちらは臼杵市からのかぼすを用意。
どちらにしても、美味しい秋刀魚が食べられればいいって事でしょう。
本日は、「目黒のさんま」やってましたね。
演者は、先代の三遊亭金馬師匠。
本題に行く前に、昔の殿様~特に太平の世にぽ~っと育った世間知らずのお殿様の話を長くしてました。
「片仮名のトの字に一の引きようで上になったり下になったり」
昔の御身分の高い方々は、下々の庶民の生活はご存じない。だから常々少しでも知りたいと思っておりますね。
「三太夫」
「はは、」
「今宵は十五夜であるな」
「左様に御座います」
「お月様は出て居るか?」
「…畏れながら、申し上げます」
「なんじゃ」
「『お月様』とは下々の用いる言葉、殿は大名であらせられますれば『お月さま』ではなく『月』と呼び捨てになさいませ。」
「儂が『お月様』と申すのは可笑しいと申すか?」
「和歌・敷島の道におかれましても『月』と一言にござります。」
「そうか、では今一度尋ねる。三太夫!」
「はは」
「月は出て居るか?」
「一点隈なく冴え渡ってございます」
「して星めらもか?」
…「星めら」ってこともないでしょうに…
上の人には下々の暮らしはわからないし、下々には上つ方の暮らし向きはわからない。これがこの噺の一つの大きなテーマ。
「目黒のさんま」とは、とある殿様が家来を連れて中目黒に遠乗りに出た際、空腹に耐えかね、初めて食した秋刀魚の旨さを忘れられず、親戚の御呼ばれで夕餉の希望を尋ねられ「余は、秋刀魚を所望じゃ」とやったことで起きるトラブルのようすを可笑しく語ったものです。
しかし、落語の殿様は「可愛い」んですね。もちろん演者の解釈にもよるでしょうが。
秋の味覚の代表である秋刀魚を知らなかった殿様の滑稽、そして親戚の御呼ばれで予想外の秋刀魚という注文を受け、パニックになった末、「お体に障ってはいけない」ってんで、折角の秋刀魚をわざわざ蒸して油を抜き、さらに骨を抜いて出し殻になったものを出す親戚。その旨くもなんともない「秋刀魚」を食べさせられる殿様を笑う話なんだけど、
何だか殿様がかわいそうになる。
考えてみれば、殿様が遠乗りで秋刀魚を食べたことが知れると家来に迷惑がかかると注文ができない。おそらくオチで「秋刀魚は目黒に限る」と言ったところで、彼はその秋刀魚の抜け殻を美味しいと言って食べなければいけない。箸がつかなければ、調理にあたったものやその家の家老達が叱責を受けてしまう。
ようするに殿様たちは「皆に迷惑をかえてはいけないため」ぽ~っとならざるを得ないのだ。こんな悲しい生き方があるだろうか?
現代に置き換えれば比較できる家はひとつしかない。
あの一族の方々は、今だって落語の殿様みたいな生活をさせられている。
例えば、昔皇太子が学生時代、仲間と山登りに行った時のこと、食事中仲間の一人が何かの弾みで飯盒を落としてしまった。その時周囲は大爆笑だったのだが、皇太子だけは黙って目をそらされたそうだ。
彼は、他人のドジを笑ってはいけないのである。見ないふりをしなければいけないのである。
上つ方も大変なのである。
この噺、殿様という「立場」の悲哀を表したものです。
「秋刀魚」は美味しい魚です。それを周りの人が下々の食す魚だというだけで食べさせない。従って暗愚な殿様ほど不憫なものはないと言うのがこの噺の別なテーマでもあります。
アタシは金馬師匠と圓楽師匠のものを持っていたはずなんだけど、金馬さんのは見つからない…残念。
そう言えば、今この落語にちなんで「目黒のさんま祭り」というのがあるんだけど、これが二つあって本家争いをしているらしい。
今年も9月半ばに駅の西口と東口で行われました。
一つは目黒駅前商店街振興組合青年部の主催で、
岩手県宮古港直送「炭焼さんま食べ放題」と「新鮮さんまお持ち帰り」(5000匹用意)それに徳島県神山町産の「芳醇すだち」(10000個用意)と、栃木県那須塩原市高林産の大根「大根おろし」付き。
もう一つは目黒のさんま祭気仙沼実行委員会の主催で、
名前の通り気仙沼港に水揚げされた5000匹を目黒まで直送、気仙沼市三日町・平野本店の醤油、昆貞本店の豆腐、有機質百%の高品質肥料「弁天魚粕」で栽培された美味しい大根、気仙沼の綺麗な海水を煮詰めて作った天然塩とこちらは気仙沼づくし。こちらは臼杵市からのかぼすを用意。
どちらにしても、美味しい秋刀魚が食べられればいいって事でしょう。
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‥‥‥‥‥お題 何でしたっけ?????