出囃子が鳴って
三枝師匠が出てきた。
ホール落語とて、舞台に出てから高座までの距離がある。
だから一旦出てきてから手を振ったり一礼して上がってきた三枝師匠。
ヤングおー!おー!(ふるいなあ)に出ていた頃から見ていたアタシとしては、上方落語協会会長になった今の三枝さんが不思議…
いや、これは失礼だね。
でも、もう「オヨヨ」とは言わないだんだろうなあ。
そんな三枝師匠、
一度頭を下げてから、
「ここはせっかくの二人会ですので、談志師匠をお呼びしましょう。」
と談志家元を呼び込む。
三枝師匠、実は談志家元に会ったのが40年前。
ところが家元、中々来ない。
「らしい」と言えば「らしい」感じだが、しばらく時間がかかった。
ようやく、よろよろ出てきた家元、
「朝から何にも食べてない」と言う。
正座もできず、座布団に胡坐をかいた家元、相当調子が悪そうだ。
いきなり三枝師匠
「師匠(談志)は定額給付金を受け取るんですか?」
と言って会場の笑いを取る。
「もらうよ、くれるんならね」
「何か使いたい事なんかあるんですか?」
「ない」
「買いたいものとか」
「ない」
「食べたいものとか」
「何にもない。オレ食えないもの。」
それから、三枝師匠、40年前に一緒に食事した時のエピソードを振る。
当時毒蝮三太夫、柳家かえる(現鈴々舎馬風)らと食事をした時、
すると家元(当時は師匠~笑)が「ハヤシライス」を注文する。
周りも「じゃあオレもハヤシライス」「オレも」と言い出すと
「オレがハヤシライスを頼んだんだから、みんなは別なものを頼んでくれ」と言ったんだそうだ。
「あの時は『何てわがままな人なんだろう』と思ったんだけど、あの時はどうだったんですか?」と聞く三枝さんに振り向いた家元、
「すまん、何も聞いてなかった」
これには三枝師匠絶句、というかコケる。
この辺は関西ノリ。
(談志)家元
「何も食べれないんだ。ビールだけ」
(三枝)師匠
「師匠(三枝師匠は談志家元を『師匠』と言う)、ビールは冷えたのが好きでしょ?」
家元
「うん」
師匠
「それって横山やすしさんと同じですよ」
場内笑い
横山やすし師匠は生前、必ずどこに行っても
「チンチンに冷えたビール出せ」と言っていたそうです。
楽屋にも冷えたビールを置いてあったそうで、
だから酔って舞台をしくじったんだな。
家元も、ビールを冷やしておくんだそうで、
それを「横山やすしさん」となぞらえるのは、
死んだ人には申し訳ないが、死んだ事まで笑いにさせるやすし師匠もスゴイね。
家元、思いのほか素直に
「そうだな、(ビールは)温めて飲んだ方がいいんだよな」
師匠
「温めて飲むんでしょう?」
家元
「カン(燗)ビールと言ってねえ…」
とここでも笑いが起きる。
実は家元、体調がすこぶる悪い。
朝から何も食べてない…というか最近食べられないらしい。
片方の耳も聞こえないと言う。
そこに引っ掛けたのか、今度は三枝さんが死について踏み込む。
「師匠が『もう死ぬよ、もう死ぬよ』と言ってらっしゃったの7年前だったですよね。」と言うと
家元
「死ねないね…ガスでも死なないし睡眠薬でも死ねないし、飛び降りるのも怖くてやだし…」
師匠
「一番いいのは新幹線ですよね。」
家元
「そうだね」
すると三枝師匠が、
「生きてるときに死ぬことを考えても、所詮死なないとわからないんですから、『死んでから考えよう』って、みんな順番のない順番を待って死んで行くんですから、ねえ。」
家元
「己が無くなる事が怖いんだよ。」
師匠
「なるほど」
家元
「理屈だけどな。」
この『己が無くなる事が怖い』という言葉、
響いたなあ。
70過ぎても人間、死を怖がり生に執着するのは
生きてりゃいい、というのもそうだけど、
死んだ結果として自分という存在が無くなってしまうのがいやなんだろうな。
アタシがそうだもの。
さて、そのうち話題は落語に…。
家元
「今、噺やってるとね、(噺の)登場人物がケンカ売りに来ますよ。」
師匠
「ケンカ売りますか?」
家元
「まあね、もう狂ったみたいになっちまうね。」
噺について掘り下げていくうちに、
完全に噺の中に入り込んでしまったのかな?
そんな瞬間がある最近の家元です。
その後
石原知事と食事をした時の話
(相当、キツイ言葉を言い合う間柄らしい。また、こういう事を言い合える関係の友人が知事には居ないんだそうな。)
それから
MXテレビで番組を一緒にやってた野末陳平さんの事も言ってた。
これについては、少し残念な話になるのだが、
ここには書かない。
ただ、人間関係は難しいという事だけだ。
全てを書いたわけじゃない。
全部を覚えてなんかいられないからね。
それにしても、家元の体調は相当悪そうだった。
三枝師匠が出てきた。
ホール落語とて、舞台に出てから高座までの距離がある。
だから一旦出てきてから手を振ったり一礼して上がってきた三枝師匠。
ヤングおー!おー!(ふるいなあ)に出ていた頃から見ていたアタシとしては、上方落語協会会長になった今の三枝さんが不思議…
いや、これは失礼だね。
でも、もう「オヨヨ」とは言わないだんだろうなあ。
そんな三枝師匠、
一度頭を下げてから、
「ここはせっかくの二人会ですので、談志師匠をお呼びしましょう。」
と談志家元を呼び込む。
三枝師匠、実は談志家元に会ったのが40年前。
ところが家元、中々来ない。
「らしい」と言えば「らしい」感じだが、しばらく時間がかかった。
ようやく、よろよろ出てきた家元、
「朝から何にも食べてない」と言う。
正座もできず、座布団に胡坐をかいた家元、相当調子が悪そうだ。
いきなり三枝師匠
「師匠(談志)は定額給付金を受け取るんですか?」
と言って会場の笑いを取る。
「もらうよ、くれるんならね」
「何か使いたい事なんかあるんですか?」
「ない」
「買いたいものとか」
「ない」
「食べたいものとか」
「何にもない。オレ食えないもの。」
それから、三枝師匠、40年前に一緒に食事した時のエピソードを振る。
当時毒蝮三太夫、柳家かえる(現鈴々舎馬風)らと食事をした時、
すると家元(当時は師匠~笑)が「ハヤシライス」を注文する。
周りも「じゃあオレもハヤシライス」「オレも」と言い出すと
「オレがハヤシライスを頼んだんだから、みんなは別なものを頼んでくれ」と言ったんだそうだ。
「あの時は『何てわがままな人なんだろう』と思ったんだけど、あの時はどうだったんですか?」と聞く三枝さんに振り向いた家元、
「すまん、何も聞いてなかった」
これには三枝師匠絶句、というかコケる。
この辺は関西ノリ。
(談志)家元
「何も食べれないんだ。ビールだけ」
(三枝)師匠
「師匠(三枝師匠は談志家元を『師匠』と言う)、ビールは冷えたのが好きでしょ?」
家元
「うん」
師匠
「それって横山やすしさんと同じですよ」
場内笑い
横山やすし師匠は生前、必ずどこに行っても
「チンチンに冷えたビール出せ」と言っていたそうです。
楽屋にも冷えたビールを置いてあったそうで、
だから酔って舞台をしくじったんだな。
家元も、ビールを冷やしておくんだそうで、
それを「横山やすしさん」となぞらえるのは、
死んだ人には申し訳ないが、死んだ事まで笑いにさせるやすし師匠もスゴイね。
家元、思いのほか素直に
「そうだな、(ビールは)温めて飲んだ方がいいんだよな」
師匠
「温めて飲むんでしょう?」
家元
「カン(燗)ビールと言ってねえ…」
とここでも笑いが起きる。
実は家元、体調がすこぶる悪い。
朝から何も食べてない…というか最近食べられないらしい。
片方の耳も聞こえないと言う。
そこに引っ掛けたのか、今度は三枝さんが死について踏み込む。
「師匠が『もう死ぬよ、もう死ぬよ』と言ってらっしゃったの7年前だったですよね。」と言うと
家元
「死ねないね…ガスでも死なないし睡眠薬でも死ねないし、飛び降りるのも怖くてやだし…」
師匠
「一番いいのは新幹線ですよね。」
家元
「そうだね」
すると三枝師匠が、
「生きてるときに死ぬことを考えても、所詮死なないとわからないんですから、『死んでから考えよう』って、みんな順番のない順番を待って死んで行くんですから、ねえ。」
家元
「己が無くなる事が怖いんだよ。」
師匠
「なるほど」
家元
「理屈だけどな。」
この『己が無くなる事が怖い』という言葉、
響いたなあ。
70過ぎても人間、死を怖がり生に執着するのは
生きてりゃいい、というのもそうだけど、
死んだ結果として自分という存在が無くなってしまうのがいやなんだろうな。
アタシがそうだもの。
さて、そのうち話題は落語に…。
家元
「今、噺やってるとね、(噺の)登場人物がケンカ売りに来ますよ。」
師匠
「ケンカ売りますか?」
家元
「まあね、もう狂ったみたいになっちまうね。」
噺について掘り下げていくうちに、
完全に噺の中に入り込んでしまったのかな?
そんな瞬間がある最近の家元です。
その後
石原知事と食事をした時の話
(相当、キツイ言葉を言い合う間柄らしい。また、こういう事を言い合える関係の友人が知事には居ないんだそうな。)
それから
MXテレビで番組を一緒にやってた野末陳平さんの事も言ってた。
これについては、少し残念な話になるのだが、
ここには書かない。
ただ、人間関係は難しいという事だけだ。
全てを書いたわけじゃない。
全部を覚えてなんかいられないからね。
それにしても、家元の体調は相当悪そうだった。
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