さて、三枝師匠が改めて出てきた。
「ズボラなんですけど」と始めた噺の演目は「メルチュウ一家」
もちろん、これ後から知ったんですよ。
プログラムがあるわけじゃないんだから。
こんな噺です。
妻に先立たれ和歌山の田舎で一人暮らしをしているおじいさんのところに、片道4時間かけて息子が突然やってくるところから始まる。
どうして事前に連絡してこないのだとおじいさんが聞くと、
息子は何回も電話したけど出ないので心配してきたという。
朝の7時から夜中の1時まで1時間おきに電話したのにと息子が言うと、おじいさんは笑ってそれは電話に出られないという。
5時には床から起きて、朝御飯を食べたら外出し、友達と一緒の時間を過ごしている。帰ってくるのは午後6時半くらい。お風呂に入ったら眠くなるので、起こされないよう電話に座布団をかぶせて寝ているという。
…これじゃ、電話に出るわけがない。
すると、息子は携帯電話を持つことを勧める。
息子は、なかなか連絡の取れないおじいさんのために携帯電話を買ってきたのだ。
もちろん、これが本人にとってありがたいかは別。
おじいさん、嫌がって持とうとしない。
息子は必死だ。
携帯電話を嫌がるおじいさんに、機能をいろいろ教える。電話の掛け方、メールの打ち方、絵文字などなど
しかし、おじいさんは断る。
息子はますます懸命に説得する。
おじいさんの友達が携帯電話で話しながら自転車を運転していて崖に気付かずに自転車で大怪我したと言うと、歩いているときは電話に出ないで、後から着信履歴を見て掛ければよいと説明する。
また、別な友達の着メロが花笠音頭だったが、なんとその着メロが葬式の席で読経の最中に突然鳴り始め、大変な事になった話を出して、皆でいるときに携帯の着メロが鳴ったらうるさいから嫌だというと、バイブにすればいいと説明。
…どうして、そんなに携帯がいいんだ?
その説得の最中に、息子の家では家族はバラバラに暮らし、
実はかろうじてメールで会話して家族が成り立っている事がわかる。
それを息子は携帯で一家団欒が保たれていると言う。
そのくせ、自分の娘が送ってきた絵文字だらけのメールを息子は読めないのだ。
「一家団欒って家族がひとつのちゃぶ台をはさんで向き合って会話する事じゃないのか?」と言うおじいさんに、息子は言う。
「メールがあるから家族の団欒があるんです。今日び高校生の娘なんか父親と話をしてくれないですよ。僕も忙しいから、妻は何でもメールで送ってくるんです。我が家はメールで会話するんです。」
一階に奥さんが二階に居る夫に「ご飯です」とメールを送るなんて、
怖いくらいだね。
そんなやりとりの末に、しぶしぶながらおじいさんは携帯電話を持つのを承知する。
後日、おじいさんが初めてメールを送ってみるということで、
家族全員でおじいさんからのメールを待つ。
やっと来たメールは、最初は本文なし。
次に来たメールは変換間違いだらけの文章しか打てず、
おじいさんは疲れてしまう。
しかし、その1ヵ月後、家族はおじいさんから送られる大量のメールで疲れ果ててしまう。
ホームヘルパーのミヨちゃん(27歳)にメールの打ち方を教わったおじいさんは、一日中家族にメールを送るほどのメール中毒になっていた。
何しろ暇なおじいさんはひっきりなしにメールを送り、
返事が遅いとまだかまだかと返事を催促する
息子の携帯にはおじいさんから40回もメールが来た。
高校生の娘にはおじいさんからのメールでメモリがいっぱい。
友人のメールが入る余地もない。
おじいさんに家族皆が悩まされ、しかも携帯代金は息子が払うということになっているので、妻はどうにかしてくれと夫に頼む。
困り果てた家族が、もうメールを解約するしかないということになり、
おじいさんに
「家族皆でメールを解約するから、これからは電話で連絡を取るようにしよう」と最後のメールを送る。
おじいさんからの返信には「やっと気付いたか」と書いてあった。
笑わせて、考えさせて、最後に落としてニヤっとさせる。
我が家にも考えさせられる噺でしたね。
今だとファミリー通話にすれば?とか
パケホーダイにすれば?とか
突っ込みようもあるわけで、
新作と言えども、時間とともに
鮮度を失っていくわけだけど、
後ろに流れる心情が通じているなら
これも立派な落語です。
三枝師匠の挑戦は続きます。
「ズボラなんですけど」と始めた噺の演目は「メルチュウ一家」
もちろん、これ後から知ったんですよ。
プログラムがあるわけじゃないんだから。
こんな噺です。
妻に先立たれ和歌山の田舎で一人暮らしをしているおじいさんのところに、片道4時間かけて息子が突然やってくるところから始まる。
どうして事前に連絡してこないのだとおじいさんが聞くと、
息子は何回も電話したけど出ないので心配してきたという。
朝の7時から夜中の1時まで1時間おきに電話したのにと息子が言うと、おじいさんは笑ってそれは電話に出られないという。
5時には床から起きて、朝御飯を食べたら外出し、友達と一緒の時間を過ごしている。帰ってくるのは午後6時半くらい。お風呂に入ったら眠くなるので、起こされないよう電話に座布団をかぶせて寝ているという。
…これじゃ、電話に出るわけがない。
すると、息子は携帯電話を持つことを勧める。
息子は、なかなか連絡の取れないおじいさんのために携帯電話を買ってきたのだ。
もちろん、これが本人にとってありがたいかは別。
おじいさん、嫌がって持とうとしない。
息子は必死だ。
携帯電話を嫌がるおじいさんに、機能をいろいろ教える。電話の掛け方、メールの打ち方、絵文字などなど
しかし、おじいさんは断る。
息子はますます懸命に説得する。
おじいさんの友達が携帯電話で話しながら自転車を運転していて崖に気付かずに自転車で大怪我したと言うと、歩いているときは電話に出ないで、後から着信履歴を見て掛ければよいと説明する。
また、別な友達の着メロが花笠音頭だったが、なんとその着メロが葬式の席で読経の最中に突然鳴り始め、大変な事になった話を出して、皆でいるときに携帯の着メロが鳴ったらうるさいから嫌だというと、バイブにすればいいと説明。
…どうして、そんなに携帯がいいんだ?
その説得の最中に、息子の家では家族はバラバラに暮らし、
実はかろうじてメールで会話して家族が成り立っている事がわかる。
それを息子は携帯で一家団欒が保たれていると言う。
そのくせ、自分の娘が送ってきた絵文字だらけのメールを息子は読めないのだ。
「一家団欒って家族がひとつのちゃぶ台をはさんで向き合って会話する事じゃないのか?」と言うおじいさんに、息子は言う。
「メールがあるから家族の団欒があるんです。今日び高校生の娘なんか父親と話をしてくれないですよ。僕も忙しいから、妻は何でもメールで送ってくるんです。我が家はメールで会話するんです。」
一階に奥さんが二階に居る夫に「ご飯です」とメールを送るなんて、
怖いくらいだね。
そんなやりとりの末に、しぶしぶながらおじいさんは携帯電話を持つのを承知する。
後日、おじいさんが初めてメールを送ってみるということで、
家族全員でおじいさんからのメールを待つ。
やっと来たメールは、最初は本文なし。
次に来たメールは変換間違いだらけの文章しか打てず、
おじいさんは疲れてしまう。
しかし、その1ヵ月後、家族はおじいさんから送られる大量のメールで疲れ果ててしまう。
ホームヘルパーのミヨちゃん(27歳)にメールの打ち方を教わったおじいさんは、一日中家族にメールを送るほどのメール中毒になっていた。
何しろ暇なおじいさんはひっきりなしにメールを送り、
返事が遅いとまだかまだかと返事を催促する
息子の携帯にはおじいさんから40回もメールが来た。
高校生の娘にはおじいさんからのメールでメモリがいっぱい。
友人のメールが入る余地もない。
おじいさんに家族皆が悩まされ、しかも携帯代金は息子が払うということになっているので、妻はどうにかしてくれと夫に頼む。
困り果てた家族が、もうメールを解約するしかないということになり、
おじいさんに
「家族皆でメールを解約するから、これからは電話で連絡を取るようにしよう」と最後のメールを送る。
おじいさんからの返信には「やっと気付いたか」と書いてあった。
笑わせて、考えさせて、最後に落としてニヤっとさせる。
我が家にも考えさせられる噺でしたね。
今だとファミリー通話にすれば?とか
パケホーダイにすれば?とか
突っ込みようもあるわけで、
新作と言えども、時間とともに
鮮度を失っていくわけだけど、
後ろに流れる心情が通じているなら
これも立派な落語です。
三枝師匠の挑戦は続きます。
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