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2025/01/31 18:04 |
切れてしまった爆笑王の系譜と危機~桂枝雀の「あたま山」を巡って
三平-歌奴(圓歌)-圓鏡(圓蔵)ときたら次誰に行くんでしょう?

実は、この系譜、アタシ的には切れてしまっています。
上方落語は別でしょうが…。

それは関東の笑いに対するセンスなんじゃないかな?と。
どんな事しても笑わせてやるみたいな鬼気迫るものを持った落語家さんが関東にはいないんじゃないか?
いや、新作落語派はいっぱいいるんですよ。
本格派とか作品派と分類されるタイプの中にも笑わせるツボを持ってる人はいっぱいいますよ。
でも、その「笑い」だけにとことんこだわった落語家が何人いるのか?と言われたら、どーなんだろ?
あえて言っちゃうと今なら春風亭昇太くらいかなあ。
でも、正直、彼の笑いだって、爆笑王のレベルじゃないよね。
今は、特に東京落語ではそれが難しいのかも知れないね。
かわいそうだけど、昇太は確かに面白いんだけど、
はっきり言って小朝や志の輔の方が面白いんだもん。
面白い落語家さんでも、じっくり聴かせたい、みたいな作品志向を感じるんですよね。
それはそれで好きなんだけど。

上方落語には「笑わせてやる」という迫力がある。
でも、アタシの関西爆笑王の流れは枝雀で留まってる。

枝雀の狂気すら感じた「あたま山」をボクはたぶんテレビで聞いた。
主人公が自分の頭に出来た池に身を投げて死んでしまうというナンセンスの極致を
観客に「アレ?」と立ち止まらせることなく演じるのは、技術を超越した何かだと疑わない。

落語ってのは、高座の上で演者が、自分の語る落語〔\物語)を観客の頭の中で絵のついたドラマとして再構築させるもので、談志言うところの業の肯定、超克の有無は別として技術的にはあまり変わらない。
音楽と同じ、再現芸術である。
「あたま山」ってのは映像にする事がほとんど不可能な(映像にして外国の映画祭で表彰された人がいたけどネ)物語で、ケチな男がサクランボの種を飲み込んで出さなかったら、頭の上に桜の木が生え、満開の花が咲いた。その「あたま山の桜」を目指して花見客が集まり大騒ぎ。煩くてたまらない男は件の桜を引っこ抜いてしまう。するとある日大雨に降られ、今度は桜を抜いたくぼみに貯まって池ができた。さて、「あたまが池」でつりをする客が集まってまたまた大騒ぎ、すっかり参ってしまった男、ついに自分の頭の池に自分身を投げて「死んじまったとさ~」と下げる。
さて、この常人の頭では消化できないSF落語。
みなさんこの話を絵にできないでしょ?
できたアナタは枝雀以上の天才!

枝雀さんは、これを絵に出来ない混沌のまま観客に提示し、
絵を作らせないまま爆笑の中に混ぜ込んで下げてしまう。
爆笑の天才。

そして枝雀さん以降の爆笑王も現われていない事を考えると、
やっぱり爆笑落語は危機なのかも…。
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2007/06/24 01:44 | Comments(3) | TrackBack() | 落語
爆笑の系譜:橘家圓蔵

立川談志家元の現代落語論によれば圓蔵ではなく「エンゾー」なんだそうだが、
圓蔵師匠が月の家圓鏡と名乗って「お笑い頭の体操」に出ていた頃、
ボクは「テレビ演芸」で、圓鏡の「堀の内」を聞いて文字通り抱腹絶倒笑い転げた記憶がある。

師匠、お客をいじりながらその一体感を盛り上げ、テンポよく話の中に引きずり込む手法は独特。
「根岸」と呼ばれていた爆笑王の先輩、林家三平師匠は高座からお客に話しかけたさきがけだと思うが、
その客の心をつかむ天才だった。

圓鏡師匠は、別な意味で天才。この人には三平師匠にはないテンポと、不条理なまでのギャグがあった。
そして観客とのライブ感。
無理やりにでも笑わしてやる凄さがあった、とは言いすぎか…。

ラジオ番組で圓鏡の名前を聞かない日はない時期があったナ。

「早いのがとりえ」ってね。

これは「お笑い頭の体操」か

東京に出てきて、鈴本の昼席のトリが圓蔵師匠「反対車」
違う日に新宿の末広亭昼席終了後偶然テレビ番組の公開収録があって、
ボクの前に山本益博が座ったわけなんだが、それはいいとして。
この日の出演者は…と見ると高座に円蔵師匠が登場。
ネタは…やっぱり「反対車」
同じ月に2回同じ噺を聞いたのも珍しいが、微妙に違うギャグを使いわけていたっけ…。
さすが爆笑王。

談志、圓楽、志ん朝と並んで落語の若手四天王と呼ばれていたっけ。
今、寄席に残っているのは圓蔵師匠一人だけ。
時の流れは無常ですね。


2007/06/17 00:00 | Comments(0) | TrackBack() | 落語
山のあな~たのそ~ら~遠く、圓歌師匠の一代芸

「山のあなたの空遠く
 「幸」住むと人のいう
 噫、われひとと尋めゆきて
 涙さしぐみかえりきぬ
 山のあなたになお遠く
 「幸」住むと人のいう …」

カール・ブッセの詩は格調高いが、

こちとら、演芸好きだ、べらぼーめ!
気が短けーんだ。
ここまでしか知らないやい。

…いやいや、無理やり江戸弁?使っても格好わるい。
所詮は権助、田舎もん。

てなわけで、三遊亭歌奴(現圓歌)師匠の「授業中」
今、「山のアナアナ」と言って
何人が「そうそう」と言うか、
わっかるかな~、わっかんねえだろうな~。

いや、これもわかんないだろう。

とかく流行語は足が速い。

本当は、ただ「山のアナアナ…」といくわけじゃない。
上述のカールブッセの詩の朗読を当てられたドモリの中沢少年。
クラスメートの

「いいか?中沢、先生のお許しが出た。しみじみどもれ。」
の言葉で、

「や、や、、やまー、やまー、やまー、山のアナー、アナーや、山のアナーアナー、アナ、あなた、あなた?もう寝ましょう」
とやるわけだ。

どうして「もう寝ましょう」はどもんないんだ?と教師(これがまた物凄い訛り)に突っ込まれる。(「突っ込み」ってのは漫才の用語だけどね)

次に指名されるのが「3番、広沢虎三」
こちらは朗々とうなる。

「山のあ~な~た~の~、そ~ら~遠く(ハイ)。さいわい住むと人の言う、
ああ、われひととと~めゆきて(ハア)
山のあ~な~た~の~~おおおお、そ~ら~とおくぅ~」
と次郎長伝もかくやの名調子、ヨオ!

おっとノリ過ぎか。

これと「しんお~くぼ~(新大久保)!」のフレーズで
歌奴サン、お茶の間の人気者になった。

本人、今は高座でも
「いまさら『山のアナ』じゃねーだろ!飽きちゃったよ!」と笑わせる。
でも、また聞きたいなあ。

もう、誰もやれないもの。


2007/06/15 17:23 | Comments(0) | TrackBack() | 落語
くだらない…それでも三平、圓鏡の日々。
地方出身でテレビで演芸に触れた。
これは本当で、テレビの演芸こそ
ボクの「演芸初めて物語」

だから、ボクが初めて知った落語家は(林家)三平、(月の家)圓鏡(=後圓蔵)、(三遊亭)歌奴(=後圓歌)といった爆笑の系譜だったナア。

「好きです、好きです、好きです~。よし子さ~ん」
「もう、大変なんスから」
「どーも、すいません」
落語では、1回も笑った記憶がないのですが、これらのフレーズは覚えてるんですよね。
不思議です。
もちろん三平さんのおかみさんは香葉子さんで「よしこ」さんではありません。

圓鏡さんなら「よいしょっと」
歌奴さんなら「山のアナアナ…」

考えてみれば、落語家のフレーズは今のキャッチコピーみたいなもんなんですよね。

今の落語家で、ここまで現代にコミットできる人が何人いるのか?
いや、一人でもいるのか?
欲目で見ても、よくわかんない。

小朝、正蔵、花録、志の輔、志らく、楽太郎…
うーん、どうなんだろ?

とにかく、ボクの子供時代は、三平、圓鏡の日々だったんです。

談志、志ん朝、小三治、柳朝、大師匠の圓生、小さん、彦六、と行くのはまだまだ先の事です。

2007/06/11 01:09 | Comments(1) | TrackBack() | 落語

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