昼間から酒を喰らってはゴロゴロしていて、ちっとも働こうとしない八五郎。
女房にガミガミと小言を喰らい、いつもの通りの口げんか、勢いで要望を追い出すどころか、自分の方が出て行く羽目に…。
道端を歩きながら八っぁん考える。
「あ~あ、もう生きてんのが嫌になっちまったなぁ。
いっそかかぁの言う通り、本当に死んじまおうかなぁ~
けど、どうやって死のうかなぁ…首でも吊って…。いや、あれはいけねぇ。前に首吊り見たことがあるんだ。首が伸びて鼻水やよだれが出て、あれは形がよくねぇ。首吊りはやめだな。海にでも飛び込むかな…いや、土左衛門てのもよくねぇな。くたばった後、魚につつかれるなんざゾッとしねぇや…土左衛門もだめだな…(こんな具合に悩んでるヤツは死ねるはずがない。)」いつしか死ぬ方法ばかり考えている八五郎。
「どうやって死ぬのがかたちがよくて楽かなぁ…」とつぶやくと「教(おせ)えてやろうか?」と声がする。
「えぇっ?あーびっくりしたぁ。誰だお前(めえ)は!汚ねえなりをしやがって…誰だ!」
「薄汚ねぇたぁお互い様だ…おれか? へへへ、おれは…死神だ。」
どうりで…、八五郎、どんなに貧乏しても死にたいと思ったことはないと言う。急に死にたくなったのはお前のせいだと文句を言う…(たいした度胸である)
「へへへへ…そう邪険にするもんじゃねぇよ。別にお前(まい)さんを取り殺そうなんて気はねぇんだ。第一(でぇいち)、お前さんの寿命はまだつきちゃいねぇ。寿命の残ったヤツを殺すなんてことは死神の面子にかけてもできゃしねぇ。安心しな」変な面子もあるもんで…。
話を聞けば人助けをしたいという。金に困った八っあんを助けてよろうと言うのだ。
どうするのだ?と聞くと医者になれと言う。
聞けば、病人の寝ている枕元に死神がいれば助からないが足元にいるなら助ける手立てがあるという。
そのマジナイが「アジャラカモクレン キューライソ テケレッツノパ」と言って手を二つ叩くというもの。(このマジナイ、聞いた事ない?「黄金餅」という噺で、木蓮寺の和尚が適当に唱えたお経が最後に「アジャラカナトセノ キューライソ テケレッツノパ」って言ってた気がするな。
ま、それはさておき…
死神の勧めで「医者」になった八五郎、言われたとおり、死神が足元にいたら「アジャラカモクレン…」と追い払い、すぐに元気になる。一方枕元にいたら「残念ながら…」とお断りして帰ると、本当にすぐ死んでしまう。ああ、この人は名医だと大評判。
ところが調子にのって手にした金で遊び放題、口うるさい古女房を追い出し、使い続ければ元の木阿弥すっからかんになった。ところが、今度は上手く行かず、みんな足元ではなく枕元に座っている。
「こいつはいけません」と言って患者の家を出るとすぐ死んでしまう。昔なら「名医だ」というところだが、今回は「この医者に見てもらうと死ぬ」と噂がたったため、呼ばれなくなってしまう。
そしてついに八五郎は死神との禁を破る。江戸でも一、二を争う金満家の河口屋善兵衛の番頭が飛び込んできてどうしてもと言うから見に行くと、死神は枕元に座ってる(悲)
「だめです」と言う八五郎に、「お金はいくらでもお出しします。」何でも五百両の金を用意していると言う。
この五百両というお金に目がくらんだのだ。
八五郎じゃなくても、心が揺らぐかもね。
病人の枕元に座っている死神の隙を見て、四方に控えた力自慢の若い衆がふとんの四つ端をもってえい、と向きを反対にして「アジャラカモクレン キューライソ テケレッツノパ」驚いたのは死神の方。
気が付くと自分が足元に座ってる。びっくりしたのなんの、こんな話聞いた事も無い、枕元にいたはずがいつのまにか足元にいて、まじないを聞かされちゃった、足元にいてまじないを聞いたら消えなきゃならないのが業界の取り決めというやつ。死神、「ギャーッ」と天井まで跳びあがってそのまま消えてしまった。するといきなり病人が立ち上がって「鰻重と天丼が食いたい」ってんで…(これは志ん生さんのやり方かね。圓楽さんは「今日も元気だ煙草が上手い」とやってた。)
お店の人が喜んだのなんのって…。さっそく手付け?の十両をもらってご機嫌な八五郎。
八五郎、その足でさっそく馴染みの酒屋へ繰り込み、そのまま夜まで呑んで食って、いい心持ちで店を出た。
…八五郎 ああ、ありがてぇ。
「今日は我ながらうまくやったねぇと、布団をぐるっと回して、「アジャラカモクレン」とやった時のあの死神の慌てようったらねぇや。目ン玉ひん剥いて「ギャーッ」って飛び上がりやがった 」
すると、急に死神が「 驚くのは当たり前だ」ときたのでさあビックリ。
「おっと、びっくりしたぁ。お前さん、あの時の死神かい?じゃぁ、何かい?あの枕元の死神はお前さんだったのかい? 」
「お前は恩を仇で返したんだ 」と死神。
「いや、ちょっと待ってくれ、そんなつもりじゃなかったんだ。死神ってのは誰も彼もおんなじような不景気な面...いやいや、皆似た顔でさ、似たような着物着てるからあんただって気がつかなくってさ、いや、もしあんただって知ってたらおれはあんなことしやしなかったぜ、ホント 」
「やったことは取り返しがつかないってのが世の中の決めだ。人に恥をかかせやがって。このままじゃおれは死神仲間の笑い者だ...さ、来てもらうぞ」
八五郎が「どこへ? ど、どこへ連れて行くんだよ! 止めてくれ、離してくれよ! 」というのも聞かずに死神がつれてきたのは、見たことも無い洞窟で、中に入ると一面火がついた蝋燭が置いてあって明るい。
死神の噺では、この蝋燭は人間の寿命だという。
八五郎「『人間の寿命は蝋燭の火のようだ』って言うけど、本当だったのかい? 」
死神 「本当さ、例えばそこの、ほれ半分くらいの長さでボーボー音を立てて燃えてるヤツよ」
「あ、これ?なんか、勢いがありますねぇ」
「そりゃ、お前の別れたかみさんの寿命だ 」
「 へぇ、なるほどねぇ。へへっ、あいつらしいや。音がガミガミ言ってるように聞こえてくらぁ。で、その横の、長くて威勢のいいのは?」
「そりゃお前の息子の寿命だ。こいつは長生きするぜ。」
そしてその横に今にも炎の消えそうな蝋燭が…。
「死神さん、これは、ひょっとして」
「お前の寿命だよ。よぉく見ておきな。もうすぐ消える。消えたら死ぬんだ。」
「えっ?」
何でも、あの布団をひっくり返して助けた金持ちの寿命と取り替えてしまったのだそうだ。助かるにはこの手許にある燃えさしに移しかえなければならない。
必死になる八五郎だが手が震えて上手くいかない…。
そこで死神がいう気味の悪いセリフが「早くしねぇと消えるよ…」なのである。
この噺、最後は八五郎がばったり倒れて、死神が「…消えた」とやる圓生師匠の噺を最初に聞いたのでその印象が強いのだが、従来のやり方は弟子の圓楽師匠がやられるように、八五郎が「消える…」と言ってばったり倒れる方が多かったような気がする。
移しかえに成功して喜んだのもつかの間、自分のくしゃみで火を吹き消してばったり倒れるのが小三治師匠。
つまり「主人公が死んで」終わる後味のよくない噺だから、どういう風に終えればうまく納まるか、これが難しく演者の実力が楽しめる噺なわけで…
おっと、グズグズしてるとアタシも消えるよ…。
八五郎出世というのは、またの題名を「妾馬」とも言います。
裏長屋に住んでいた、八五郎という男。
腕はいい大工だが性格はガサツ。
ところが、赤井御門守様の身の回りの世話をするために
屋敷に上がっていた妹のおつるが殿様の目にとまり妾となった。
そしてやがて懐妊して男子(お世取り)が生まれた。
おつるは出世しておつるの方となった。
このおつるが、兄である八五郎に会いたいとお殿様に頼んだので、
八五郎が屋敷に招かれたのだが、
ガザツな八五郎は丁寧言葉を使わないといけないと言われて出かけた。
気を使ってやたら「お」と「奉る」を使ってしゃべていたが、
そのうち殿様に無礼講だと言われると、
今度は一変してあぐらをかいて、殿様を相手に友達のような調子でしゃべり出した八五郎。周囲はハラハラするが、殿様は面白がる。
やがて、妹のおつると対面しておふくろさんの話しをする。
この時二人はほろり涙を流しあう。
その様子を見ていた赤井御門の守、
いたく八五郎の話が気に入り士分に取り立てる。
こんな噺。
だから「八五郎出世」
妾馬と言われるのは、侍になった後、
殿様から使者を申しつかって馬に乗って出かけるが、
馬術なんか知らない八五郎、こわごわ馬に乗ったが、
なんの拍子か、馬がおどろいて走り出した。
八五郎が必死で馬につかまっていると、
向こうから屋敷の者が来て「いずれへ おいでなさるか?」
八五郎、「前にまわって馬に聞いてくれ」
どちらかというと、兄が士分に取り立てられるところで終わる事が多い噺ですね。
妹が妾になって兄が出世するってんだから、
江戸時代の事だけど、今だと「どうなんだろうね」って事になる。
おつる(妹)は、元々殿様の身の回りの世話をしていて殿様の「手が付いた」ってわけでね。家族としてはトンでもねえ…とはならないんだね。
この噺、庶民と侍との身分の違いを殿様と八五郎の会話で笑わせたり、
おつると八五郎の会話では、折角孫が生まれたのに会う事ができない2人の母親の言葉を出してじーんとさせたり、いろいろ工夫のある噺です。
この題名にどうして志の輔さんの名前を出したかと言うと、
今回、旅行で乗ったANAの機内サービスで、
志の輔師匠が「新八五郎出世」と題して高座に掛けていたのを聞いたのね。
ここで志の輔さん、
なんと八五郎を侍にしなかった。出世の意欲がない男と解釈する。したがって八五郎は「出世」しない。後半の「馬」のエピソードもない。これって勇気の居る改題ですよね。
さすが談志家元のお弟子さん。
つまり、終盤で殿様が八五郎を気に入り、
自ら士分に取り立てようと何回もいうのを、八五郎が頑として断る。
しまいに、おつるが「兄はガサツですが一本芯の通った男です。言う事を聞いてあげてください」と頼むと、殿様あっさり「ではさきほどの話は無しじゃ」と撤回する。
すると八五郎が、どうしてそう簡単に話を引っ込めるんだ。
それが面白くないと文句を言うと、お前の妹はおつるだから
「これが本当の『つるの一声』じゃ」とサゲる。
なるほど。
ガサツだが、愛すべき親孝行の兄を中心にした人情噺にしたわけです。
個人的には、2年半も家賃不払いの八五郎を長屋から追い出すこともせずに、羽織袴まで用意して気持ちよく屋敷に送り出す大家は人格者だなあと感心したしだいです。
おかげで、わが会社もこの7月からネクタイを外して出社しており、なんとなく首筋が落ち着かないが、慣れればそれはそれで違和感もなく、
むしろ夏が終わってネクタイを締めなおした時にキュッとなって窒息してしまわないかな?な~んて心配したりして。いや、それよりもネクタイの締め方を忘れてたりして…。
そんな戯言はとにかく。
最近の劇場は冷房が効きすぎる。
涼しすぎる。
いや、むしろ寒い。
季節感がなくなる。
だが、アタシが上京したばかりの頃は、毎日暑くってしょうがなかった。
ただ、当時の独身寮にあったのは小さな扇風機一台。エアコンなんざぜいたく品だった。
どうしたか?一計を案じたアタシは、
暑いときに冬の事を扱った寒い噺落語を聞けば
少しか涼しくなるんじゃないか-と思ってその条件にあう落語のテープを探しました。
アタマがおかしくなってたんでしょうね(笑)
で、見つけた噺が「鰍沢」
この噺、昔寄席で流行った「3題話」ってやつで、
~3題話って言うのは、そもそもお客様から、お題を3つもらい、それをネタに作る即興の落語のこと。
この「鰍沢」は「卵酒、鉄砲、毒消しの護符」の3題から「名人」三遊亭圓朝が即興で作ったものなのです。
昔、身延山を参詣した帰りに大雪にあい、道に迷った旅人が山中の一軒家に宿を頼みます。
と、そこにいたのは田舎にも似合わぬ妙齢の美人。
不思議に思いながらも卵酒を勧められて話をするうち、
お熊と名乗るその女が元吉原の遊女であったことが分かります。
卵酒を飲んでいるうちに疲れて眠くなった旅人、奥で横になります。
お熊は外に薪を取りに行きます。そこに帰って来たのがお熊の亭主。
「なんだい、亭主が留守の間に卵酒なんか飲みやがって…」と残った卵酒を飲むと途端に苦しみ始めます。戻ってきたお熊真っ青になる。
「おい、何でそれを飲んじまうんだよ。」
実は、お熊、旅人に痺れ薬を入れた卵酒を飲ませ、金を奪う算段だったのだ。それと知らずに亭主が飲んでしまったわけだからさあ大変だ。
騒ぎに気が付いた旅人、お熊の計略を知ってあわてて逃げようと思うのだが、毒入りの卵酒を飲んでいるから体が痺れて動けない。
ようやくのことで雪の積もる外に転げ落ちるとなんとか逃げようともがく。
そこで気が付いたのが持ち合わせていた身延山の毒消しの護符。
雪とともに護符を何とか飲み込んだ旅人、体の自由が利くようになって逃げるのだが、そこにお熊が毒を飲んだ亭主の仇と(勝手なものだが)鉄砲を持って追いかけてくる。
必死にお題目を唱えながら逃げてきたものの、ついには鰍沢の断崖絶壁に追い詰められる。
もうダメかと思った時、偶然に雪崩が起き旅人は谷底へ落ちる。
しかし、それはたまたま運よく川につないであった筏だった。
助かったと思うと次は落ちた反動で綱が切れ、筏は急流を下って行く。
ほっとして頭上を見ると、お熊が鉄砲を構えて立っている。
大変だ、こちらを狙っているぞ。何無妙法蓮華経…何無妙法蓮華経…
バァ~ン!
お熊の放った鉄砲の弾は旅人を襲うが、傍の岩に当たり窮地を脱する。
「この大難を逃れたも、ご利益、お材木(題目)で助かった」
この噺、最初に聞いたのは三遊亭圓生。それから芝居噺の林家彦六。
そして古今亭志ん生。3者3様の面白さです。(お暇なお方はCDでどうぞ。)ただし、これを聞いて寒くなれたかは忘れてしまいました(笑)
余談ですが、お熊が旅人に鉄砲を構えるときの描写があるんですが、
鉄砲を腰だめにして構えるのが志ん生流、
目で狙いをつけて構えるのが圓生流だそうです。
圓生さんがテープの解説で書いていたから間違いございません。
「あれは、やはり、狙って構えなければいけません。志ん生は間違ってます。」とは言ってたかどうか…。
所作の問題なので、どちらがいいとも言えないのですが、
こういうところもにこだわる名人の考え方、アタシは好きです。
このブログを覗くような酔狂なお方は、
だいたい筋をご存知なんじゃないか?と思い細かい説明なしに進めちゃいます。
アタシが聞いたのは名人古今亭志ん生とその長男の金原亭馬生の両師匠。
何でも賭け事の対象にしていた昔の江戸っ子、
酒賭け、醤油賭け、そして蕎麦賭け。
暇だったんですかねェ。
オイラ、酒はたしなみ、醤油は命賭けてまで飲みたくない。
やっぱ、蕎麦かな?
噺のマクラに曰く、
「蕎麦っ食いは身の丈だけ食べる」
これは別に蕎麦を箸でもってず~っと伸ばして170cmなんて競ってるわけじゃない。
アグラをかいて、重ねた蒸篭(せいろ)の高さが身の丈ほどと言うのが正解らしい。
当時の蒸篭は小さかったらしい。それでも身の丈なんて大変な高さ。
この人は蕎麦ッ喰いだってわかると、
「あんたいい食べっぷりだけど、いつも何杯やります?」
「いや~、せいぜい10かそこらで…」
「じゃあ、20で賭けましょう。オイ、賭けだよ!」
てなわけで、ハイヨと蕎麦屋も心得てる。
次から次からまるで
ワンコソバみたいに出てくる蒸篭に乗った蕎麦をズルズルツーッと20枚。
「今日は体の調子が良かったようですねえ。じゃ、どーも」と帰っちゃう。
この「ドーモ」が(金原亭)馬生師匠は絶妙、妙なおかしみだった。
負けて悔しい常連さん、次は30だって賭けをやったら
またズルズルチュー、「どーも」っておいやられちゃったよ、参ったねどうも。
見てて笑ってる人がいる。聞いてみればアノ人。
ソバ賭けを生業にしている清兵衛さん、通称そば清と言っていつも40杯食べる。
なんだい、オイ、というわけで金を取られた常連の怒るまい事か。
今なら、言って見れば、ギャル曽根やジャイアント白田が素人を語ったようなもの。
松坂大輔がスピードガンコンテストに出たようなもの。
どちらも変な例えか…
「どーも」
「おいおい、あんた「そば清」って40杯も蕎麦食べるそうじゃないか?それを20・30で賭けをして…よく取れたね。今度は50杯で5両だ。どうだい?」
清さん、考えた。40から45は自信がない。
「脇で一勝負してまいりました。また改めて、ど-も」
そして信州に旅に出た清さん、旅先でウワバミが猟師を丸呑みにする場面を見る。
そのウワバミ、大の男を丸呑みにして倍ほども膨らんだお腹だったのが、そばに生えている赤い草をペロ、ペロと舐め始めると、膨らんでいた腹がスーッと元どおりにへこんじまった。
これはいいぞ、ウワバミの腹薬だ。これさえあれば…って戻って来ると「どーも」
おい、清さんが帰って来たよ「50で5両かい?」「60で10両ってのはどうでしょう?」「へっ、10両?」
60杯で10両が掛かった大勝負。
清さん50までは順調。残り3枚で、箸が止まった。
ここで、次の間で風に当たらせてくれと清さんのお願い。
みんなで引き摺ってもらい、障子を閉めて一人になった清さん、
ここでかねて用意の「ウワバミの腹薬」を取り出してペロペロ、ペロペロ…
「ははあ、何か舐めてるね。腹薬だよ、よしなよ。もうあんなになっちゃ何を飲んだって効きゃしないよ。清さん、悪あがきはやめなさいよ...清さん...清さん? あれ? 」
みんなで、障子を開けて次の間に入ると、
そこには羽織を着た蕎麦が座ってた…。
ここで、アタシが聞いたテープの志ん生さんは説明をつけている。「これは、「人間を消化する」ための薬草だったのです。清さんはこれをしゃぶると腹の中の蕎麦が消化されて無くなると思っていたのですが、実は蕎麦はそのままで、人間である清さんだけが溶けてしまったんです」とやってた。
これとは別に、アタシが昔テレビで見た馬生師匠は「蕎麦が羽織を着てる」とだけ言ってニヤッと笑って下りてしまいました。この噺、元は関西の「蛇含草」と言う噺、オチは正直なところ志ん生より馬生が好きだなあ。
「柳亭痴楽は良い男、鶴田浩二や錦之助、それよりもっといい男…。」
これは、柳亭痴楽師匠(先代)の「綴り方教室」のマクラです。
「いい男」って自分で言うくらいですから、想像通りの容貌で、
別名が「破壊された顔の持ち主」っていうからブッチャケぶりも大したものです。
冒頭の「柳亭痴楽はいいおとこ…」の後で、
「山手線の駅名」や「東京の川にかかる橋」を織り込んだ作文を独特のテンポで話すわけです。
これは当時の友人に、「爆笑王」と呼ばれた三遊亭歌笑がいて、その「純情詩集」という作品にヒントを得たのか、それを引き継いだものとの事、痴楽の綴り方教室は大ヒットとなった。
「彼女は奇麗なうぐいす芸者(鶯谷)、
にっぽり(日暮里)笑ったそのえくぼ、
田畑(田端)を売っても命懸け。
我が胸の内、こまごまと(駒込)、
愛のすがもへ(巣鴨)伝えたい。
おおつかな(大塚)ビックリ、故郷を訪ね、
彼女に会いに行けぶくろ(池袋)、
行けば男がめじろ押し(目白)。
たかたの婆や(高田馬場)
新大久保のおじさん達の意見でも、
しんじゅく(新宿)聞いてはいられない。
夜よぎ(代々木)なったら家を出て、
腹じゅく(原宿)減ったと、渋や顔(渋谷)。
彼女に会えればエビス顔(恵比寿)。
親父が生きて目黒い内は(目黒)
私もいくらか豪胆だ(五反田)、
おお先(大崎)真っ暗恋の鳥、彼女に贈るプレゼント、
どんなしながわ(品川)良いのやら、
魂ちいも(田町)驚くような、
色よい返事をはま待つちょう(浜松町)、
そんな事ばかりが心ばしで(新橋)、
誰に悩みを言うらくちょう(有楽町)、
思った私が素っ頓狂(東京)。
何だかんだ(神田)の行き違い、
彼女はとうにあきはばら(秋葉原)、
ホントにおかち(御徒町)な事ばかり。
やまては(山手)は消えゆく恋でした」
これ、テープで聴いたんだけど、
…面白くないんだ。これが。
師匠の名調子は「ふ~ん」とうなずくものはあっても、
「爆笑」とまではいかない。
時代が作ったもしくは時代が求めた芸人っているんですよね。
もちろん、痴楽師匠も歌笑師匠も、落語ができなかったわけじゃない。
大衆演芸たるもの、
常に大衆のためにあるわけで、
時代や観客の方を向いてなければ何の芸人ゾという心意気、
彼ら落語家の矜持があったものかと思われます。
芸人としては後世に残れなかった痴楽師匠。
でも「綴り方」は今でも残る作品です。
そういう意味では「作品派」とも言える人かもね。