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2025/01/31 12:30 |
立川流家元の話を少々
「家元」立川談志という人は、一言で語れない人なんですけど、
あの人くらい、「文章で」自分を表現できる人はいないと思いますネ。

理論的な人です。でも、情の人でもあります。
落語そのものは情の世界のもので、理論にそぐわないんじゃないかと思うんだけど、このバランスがいいのでしょう。

アタシはこの人の「現代落語論」「新現代落語論」両方持ってます。

落語家の本は、昔の名人も今の落語家も出しているのだが、
談志家元、その量が凄い。完成度が違う。

内容も多様。

特に、誰かを攻撃するときには
その舌鋒鋭く、週刊誌に連載されてたビートたけしの毒舌○○なんぞ、及びもつかない。

ただ、愛嬌もある。
自意識の強いところと、シャイな昔気質が同居した人です。
ダメな芸人には、「コイツの芸はダメだ」と言い切ってしまう。

芸人というのは、己が才能に人生全てを賭けて生きる人だから
ま、誰もが自分の乏しい才能に頼って仕事をしているわけだが。
特に、狭いコミュニティーで生活している落語家の世界で、
同業者ってなかなか攻撃できないものだと思うんだけど。

そんなの関係な~い、って感じだ。

この人が志ん生、文楽、小さん、圓生といった名人について書いたものには、彼らに対する愛情と強い自意識と芸に対する冷徹な分析とが整理されずにごちゃごちゃと混ざっている。

人間というものが、理性と感性と本能と不条理がごちゃごちゃに混ざった混沌なんだから、人間を落語で全て描き出そうとする談志家元の語りが混沌としているのは仕方ないか…と思うしだい。

いや、家元が全身落語にどっぷり使ってる人=全身落語家なんですな。
この人が落語なんです。

ところで、最近始めた家元と、家元がその才能を買う太田光(爆笑問題)との2人でやってるラジオ番組…TBS「今夜は二人で」は、明らかに、昔家元が円鏡さんとやった「談志・円鏡歌謡合戦」の2番煎じなのだが、どーなんだろ?

初回の放送を聴く限り、飛躍もイリュージョンも感じられなかったのはアタシだけでしょうか?

今日の放送に期待したいです。
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2007/10/27 10:10 | Comments(2) | TrackBack() | 落語
幾代餅(古今亭志ん朝)
前にも、書きましたが、
アタシが初めて生で観た(そして最初で最後になっちゃった)
古今亭志ん朝師匠の口演は「幾代餅」だったんです。
もちろん、志ん朝落語は文七元結とか、柳田格の進とか、愛宕山とか、
いろいろテープで聴いてますが、生で聴くのがやっぱり一番。


この噺、搗(つ)き米屋の職人で清蔵という若者が、錦絵の中の花魁(おいらん)の幾代太夫に一目惚れしてしまい、恋わずらいになってしまった事から始まります。

(今で言えば、ブロマイドのアイドルに惚れて寝込んじまったのと同じ事ですね。純情なものです。)

困った親方が1年間働けば連れていくと約束して清蔵の病は治りました。
そして1年後一生懸命働いて溜まった13両2分に、親方が足して15両持たせて廓に出してやる。

そんなわけで、(確か)ある商家の若旦那として首尾良く幾代太夫に会えた清蔵。

夢のような時間は過ぎて後朝(きぬぎぬ)の別れと相成る。
幾代太夫が聴くわけですな。

「主は何時来てくんなんす」

この辺りなんざあ、吉原のソ-プで帰り際女の子が名刺をくれるのと同じだって気もしますが…。

困ってしまった清蔵さん、
洗いざらい全てを話し、頭を下げます。

錦絵の幾代太夫に惚れてしまった事、親方との約束で一年間働いて足りない分を足してもらい搗き米屋の若い衆では会わせてはもらえまいと、造り酒屋の若旦那と嘘をついた事…。

「また明日から一年、一生懸命働いて金を貯めたら会いに来ますんで、そ
の時は……、その時は、昨日のように会ってくださいまし」

紙ほど薄い人情の世の中に、この男ほどまことのある人はいない…
幾代は感動して

「来年の3月、年(年季)が明けたらわちきを女房にしてくんなますか?」

清蔵意味が飲み込めない。

「へ、へ、へぇ?」

「わちきを女房にしてくんなますか?」

「…くんなますよ~」※ここで会場大笑い。アタシは涙が出た。

二人は夫婦約束をし、持参金50両を預かって帰ってくる。
周囲はびっくりだ。
清蔵と言えば、これはもう一生懸命働きます。来年の3月、来年3月と唱えているうちに誰も清蔵を名前で呼ばなくなった。
「お~い、来年3月ぅ!」「へ~い」ってね。

そして、待ちに待った3月、幾代が搗き米屋の前に着き、めでたく夫婦に。これを期に両国に、餅屋を始める。名物の幾代餅が有名になっておおいに繁昌したって噺。

この幾代さんは実在のお女郎さんで、太夫ほどの位はなかったが、幾代餅を売り出して、大変評判を取ったという。明治の初めまで、両国広小路に店が有ったそうですな。

志ん朝さんが演じたこの噺、
幾代太夫が清蔵に夫婦の約束を交わす場だけじゃなくて
翌年の3月、幾代がやってきた時の小僧さんとの会話もいい。

「小僧どん、小僧どん。中に清やんが居なんしたら、新町から幾代が来たとどぉぞ伝えてくんなまし」

「へ・へ~~い。親方ぁ~~、親方ぁ~~」

「おい、どうしたぁ?」

「来年3月、来年3月がくんなました…親方どうしまほう?」

「馬鹿!何て口きいてんだい、早く清蔵を呼んで来い!」

それから、
幾代餅が有名になったときのお客の会話。
確かこんな感じ…

「聞いたか?」

「何を?」

「何をじゃないよ、幾代餅のことだよ」

「知らねえなあ」

「何、知らねえだと?…死ねぃ!」

「な・なんだよぅ」

同じ場面を
確か馬生さん(金原亭=志ん朝さんの兄)は
「知らない?…お前さん死んじまいな」とやるところで
志ん朝さんは、前を省略して「死ねぃ!」と強くやる。

きっちりやる芸もよし、
思い切った演出をしたりする芸もまたよし。

あの迫力ある幾代餅を演じられるって誰だろうかな?
小朝かな?
志の輔じゃあ、ないな。ちょっと違うかも。
志らくかな?
意外と今の正蔵なんか清蔵の情けないところが出て面白いかも知れないな。

こんな事を考えるのご一興。
自分だけの寄席を想像あれ。

とにかくあの日の志ん朝が演った幾代餅は素晴らしかった。
…もう死んじゃったんだよねえ。

2007/10/20 14:47 | Comments(1) | TrackBack() | 落語
いいたての妙「黄金餅」は大出世噺!
「えー下谷の山崎町を出まして、あれから上野の山下に出て、三枚橋から上野広小路に出まして、御成街道から五軒町へ出て、そのころ、堀様と鳥居様というお屋敷の前をまっ直ぐに、筋違御門から大通りに出まして、神田須田町へ出て、新石町から鍋町、鍛冶町へ出まして、今川橋から本白銀町へ出まして、石町へ出て、本町、室町から、日本橋を渡りまして、通り四丁目へ出まして、中橋、南伝馬町、あれから京橋を渡りましてまっつぐに尾張町、新橋を右に切れまして、土橋から久保町へ出まして、新橋の通りをまっすぐに、愛宕下へ出まして、天徳寺を抜けまして、西ノ久保から神谷町、飯倉六丁目へ出て、坂を上がって飯倉片町、そのころ、おかめ団子という団子屋の前をまっすぐに、麻布の永坂を降りまして、十番へ出て、大黒坂から一本松、麻布絶口釜無村(あざぶぜっこうかまなしむら)の木蓮寺へ来た時にゃ、みんなくたびれた…言ってる私もくたびれた」

今の地名で言いなおすと

「えー、東上野4丁目を出まして、あれからJR上野駅南口に出て、三橋から上野広小路に出まして、中央通りから外神田5.6丁目あたりに出て、外神田3丁目と外神田6丁目あたりえを真っ直ぐに、神田須田町の北から中央通りに出まして、神田須田町に出て、須田町交差点左角から神田須田町1丁目の南をJR神田駅周辺、鍛冶町と日本橋室町の間を日本橋本石町、日本橋本町、日本橋室町から日本橋を渡って日本橋1~3丁目に出まして、八重州通り、京橋1丁目から3丁目、首都高速のガード下を渡り、銀座5~6丁目銀座8丁目を右に切れ、JR新橋駅北側、西新橋1丁目に出ましてイイノホールの有るビルの南角あたりから愛宕山の東側の道に出まして、愛宕山裏の虎ノ門3丁目を抜けまして、虎ノ門5丁目から日比谷線神谷町駅前、麻布台2丁目にあるロシア大使館前の狸穴(まみあな)交差点に出て、坂を上がって麻布台3丁目、その頃、おかめ団子という団子屋の前六本木5-18-1を真っ直ぐに、麻布の永坂を降りまして、麻布十番へ出て、元麻布1丁目から麻布絶江坂あたりにあったらしい、木蓮寺に来た時にはみんなとってもくたびれた。」となるらしい。

一般的には志ん生の噺で有名だが、アタシはこの噺、最初に談志で聞きました。

「 ワーワー言いながら下谷の山崎町を出た。上野の山下を回って上野の広小路、新黒門町から御成街道を真っ直ぐに五軒町へ出る。当時、堀丹波守様というお屋敷がありましたそうで、この前を通って旅籠町へ出る。仲町、花房町、筋違御門から大通りへ出る。神田へ出てまいりまして、新石町、須田町、鍋町、鍛冶町、乗物町、今川橋を渡って本白銀町へ出る。石町から本町、室町から日本橋を渡って通り3丁目、中橋から南伝馬町へ出る。京橋を渡って真っ直ぐに銀座四丁を突き抜ける。尾張町、竹川町、出雲町。新橋の手前を右に切れまして、土橋を渡って、兼方町へ来る。久保町へ出る。新し橋の通りを真っ直ぐに、左に曲がって愛宕下から天徳寺へ抜ける。西の久保から神谷町、飯倉の坂ぁ上がって、六丁目から飯倉片町へかかって、狸穴の通りへやって来る。右に上杉様のお屋敷を見ながら、左に、当時流行った”おかめ団子”という評判の団子屋の前を通り、左に麻布の永坂下って麻布十番に出た。坂下町から大黒坂登って、一本松から麻布絶口釜無村の木蓮寺に着いた。時には連中くたびれた・・・って当たり前だよねえ。」

飄々とした志ん生、リアルな談志、
書いてるアタシもくたびれた。

黄金餅と言う噺、
けちで有名な再念という坊主(差別用語)が病気になって品詞の状態になったが、金に気が残ってし寝ない、思い余って隣りの金山寺みそを売ってた金兵衛に買ってもらったぼた餅に金を詰め込むと、それを食べて死んでしまう。金兵衛、そどうしても金が欲しい。それで、葬式を上げてその死体を焼いて西念の食べた金を取り出す事を考えるんだ。
「お腹の辺りは生焼けにしろ」なんてところは笑えるが、とにかくこうして取り出した金を元手に餅屋を開いて大成功、この店の御餅は「黄金餅」となって有名になったとさ。

少し救いのない噺、しかし、自分のカルマを背負っても生き切る人間の逞しさがにじみ出る話です。



2007/10/12 22:03 | Comments(2) | TrackBack() | 落語
さんまは目黒に限るか?『目黒のさんま』
文化放送「立川志の輔『落語でデート』」
本日は、「目黒のさんま」やってましたね。
演者は、先代の三遊亭金馬師匠。
本題に行く前に、昔の殿様~特に太平の世にぽ~っと育った世間知らずのお殿様の話を長くしてました。

「片仮名のトの字に一の引きようで上になったり下になったり」

昔の御身分の高い方々は、下々の庶民の生活はご存じない。だから常々少しでも知りたいと思っておりますね。

「三太夫」
「はは、」
「今宵は十五夜であるな」
「左様に御座います」
「お月様は出て居るか?」
「…畏れながら、申し上げます」
「なんじゃ」
「『お月様』とは下々の用いる言葉、殿は大名であらせられますれば『お月さま』ではなく『月』と呼び捨てになさいませ。」
「儂が『お月様』と申すのは可笑しいと申すか?」
「和歌・敷島の道におかれましても『月』と一言にござります。」
「そうか、では今一度尋ねる。三太夫!」
「はは」
「月は出て居るか?」
「一点隈なく冴え渡ってございます」
「して星めらもか?」
…「星めら」ってこともないでしょうに…
上の人には下々の暮らしはわからないし、下々には上つ方の暮らし向きはわからない。これがこの噺の一つの大きなテーマ。

「目黒のさんま」とは、とある殿様が家来を連れて中目黒に遠乗りに出た際、空腹に耐えかね、初めて食した秋刀魚の旨さを忘れられず、親戚の御呼ばれで夕餉の希望を尋ねられ「余は、秋刀魚を所望じゃ」とやったことで起きるトラブルのようすを可笑しく語ったものです。
しかし、落語の殿様は「可愛い」んですね。もちろん演者の解釈にもよるでしょうが。
秋の味覚の代表である秋刀魚を知らなかった殿様の滑稽、そして親戚の御呼ばれで予想外の秋刀魚という注文を受け、パニックになった末、「お体に障ってはいけない」ってんで、折角の秋刀魚をわざわざ蒸して油を抜き、さらに骨を抜いて出し殻になったものを出す親戚。その旨くもなんともない「秋刀魚」を食べさせられる殿様を笑う話なんだけど、
何だか殿様がかわいそうになる。

考えてみれば、殿様が遠乗りで秋刀魚を食べたことが知れると家来に迷惑がかかると注文ができない。おそらくオチで「秋刀魚は目黒に限る」と言ったところで、彼はその秋刀魚の抜け殻を美味しいと言って食べなければいけない。箸がつかなければ、調理にあたったものやその家の家老達が叱責を受けてしまう。

ようするに殿様たちは「皆に迷惑をかえてはいけないため」ぽ~っとならざるを得ないのだ。こんな悲しい生き方があるだろうか?

現代に置き換えれば比較できる家はひとつしかない。
あの一族の方々は、今だって落語の殿様みたいな生活をさせられている。
例えば、昔皇太子が学生時代、仲間と山登りに行った時のこと、食事中仲間の一人が何かの弾みで飯盒を落としてしまった。その時周囲は大爆笑だったのだが、皇太子だけは黙って目をそらされたそうだ。
彼は、他人のドジを笑ってはいけないのである。見ないふりをしなければいけないのである。
上つ方も大変なのである。

この噺、殿様という「立場」の悲哀を表したものです。
「秋刀魚」は美味しい魚です。それを周りの人が下々の食す魚だというだけで食べさせない。従って暗愚な殿様ほど不憫なものはないと言うのがこの噺の別なテーマでもあります。
アタシは金馬師匠と圓楽師匠のものを持っていたはずなんだけど、金馬さんのは見つからない…残念。

そう言えば、今この落語にちなんで「目黒のさんま祭り」というのがあるんだけど、これが二つあって本家争いをしているらしい。
今年も9月半ばに駅の西口と東口で行われました。

一つは目黒駅前商店街振興組合青年部の主催で、
岩手県宮古港直送「炭焼さんま食べ放題」と「新鮮さんまお持ち帰り」(5000匹用意)それに徳島県神山町産の「芳醇すだち」(10000個用意)と、栃木県那須塩原市高林産の大根「大根おろし」付き。

もう一つは目黒のさんま祭気仙沼実行委員会の主催で、
名前の通り気仙沼港に水揚げされた5000匹を目黒まで直送、気仙沼市三日町・平野本店の醤油、昆貞本店の豆腐、有機質百%の高品質肥料「弁天魚粕」で栽培された美味しい大根、気仙沼の綺麗な海水を煮詰めて作った天然塩とこちらは気仙沼づくし。こちらは臼杵市からのかぼすを用意。

どちらにしても、美味しい秋刀魚が食べられればいいって事でしょう。

2007/09/22 16:53 | Comments(2) | TrackBack() | 落語
わかりやすいは、名人の証~金馬さん大好き
一時期、先代の金馬師匠にはまっていた。
もちろん、当人は1964年にはお亡くなりになっているので、
東宝名人会のライブテープなんだけど、

そこで聴いた「居酒屋」にすっかりハマってしまった。

どの解説にも「芸風は明瞭で、老若男女誰でも分かり易いと定評があった。」とあり、それだけに春風亭柳橋などと同じく軽く見られていた時期もあったらしいですナ。

金馬さんの噺は特に子どもや小僧さんの演じ方が好きだった。
「居酒屋」で酔ったお客に無理難題を言われ困る小僧さんの様子。
「薮入り」で奉公に出て久し振りに帰って来た亀ちゃん。
「転失気」で、知ったかぶりの住職を騙す生意気な小坊主。
「茶の湯」で、知ったかぶりのご隠居に振り回される小僧さん。
「雛鍔」に出てくる長屋育ちの抜け目ない子ども。
皆、実に生き生きしていて面白い。

金馬師匠の噺はわかりやすいだけに、
今聞いても、全然鮮度を失わない。

また、これくらいわかりやすい落語家を現代に捜すとしたら、
誰だろう…?

今は個性の時代だから、自分の色を明確に出す人が好まれるわけで。
先代金馬さんのような落語家はしばらく現われないかもね。

いや、今の金馬さんがどうというわけではないんです。
逆に先代は「中村仲蔵」を演れないかも知れないしね

2007/09/08 12:02 | Comments(0) | TrackBack() | 落語

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