「毎度皆様おなじみの~」のところで宮川左近ショーのことを話しましたが、関東エリア(ただし北海道)出身のアタシには宮川左近ショーより玉川カルテットの方がより身近な芸人さんでした。
結成は1965年というから昭和40年。以来40年以上の長きに渡り同じ芸をやり続け、笑いを取っている。
アタシが小学生か中学生で見ていた頃から、メンバーは若干変わっていても、ギャグは全然変わってないものね。
一番有名なのが題名にした
「金も要らなきゃ女もいらぬ、わたしゃ、も少し背が欲しい~」である。もちろん、二葉しげるさんの至芸である。
その後、リーダーあたりに「少しは違う事やりなよ」と言われて、
「どうせやるならデカイ事しよう、奈良の大仏屁でとばせ」とやって頭をスコ~ンと叩かれる。
あ~、目に浮かぶ(笑)
それから、メガネ(レンズが入ってない)をかけた三味線担当の松木ポン太さんの女形のセリフ「…女って、いつだって(いつの世も?)男のために悩むのね(なぜかこの後アハハハハハハ…と笑って叩かれる)」とか、
ギターの松浦武夫さんの大きな声と大きな口(これは芸じゃないか…。でも歌は上手だった。民謡風のコブシのまわった歌声だったような覚えがある)とか…。今で言うとキャラが立った芸風でした。「でした」と言うのも失礼か。
考えようによってはマンネリ芸である。
でも、この「同じ芸で40年も笑いを取り続ける」と言う事がどれほど大変か、最近の「エンタの神様」のネタ芸人を目に浮かべれば、すぐわかるでしょ?
いわゆる「一発屋」は「マンネリ芸」になり損ねた人たちの事。
これに関しては昔からの芸人の方が図太い、逞しい。
「なんでだろう~」も「ゲッツ!」もあと10年やり続ければ、この境地に至るのか…保証はできませんが。
あ、「チャラチャチャッチャラ~ラ~♪」ってのも2年以内には同じ運命です。
玉川カルテットは、おなじみのウィキペディアによれば、
玉川勝太郎(2代目)の弟子だった玉川ゆたか(故人)と天津羽衣門下の松木ぽん太(三味線)二葉百合子の弟子二葉しげる、ギターの松浦武夫(病気で脱退)で固定メンバーになりました。アタシが見ていた全盛期はこのメンバーです。
このバランスが抜群によかった。ボ~イズ部門の各賞を長らく総なめにしていました。確かこれを破ったのが「日本全国酒飲み音頭」のバラクーダだと思ったけど記憶が薄い。ゴメンナサイ。
その後、リーダーの玉川ゆたかさんが死んでマネージャー兼運転手だった(ホント?)玉川平助さんが新リーダーとして加入-「リーダーとして加入」と言うのも凄いね。
さらに松浦さんが病気で脱退したあとは仲俊二(元ギターの流し)が加入して現在も同じ芸風で続けている。
凄い。
落語は縁者が変わっても同じ作品が別な味わいになって継承されていく。
玉川カルテットは、確かにギャグの担い手は変わっていないけれど、メンバーが入れ替わって芸風が変わって当たり前なのに、
今日もまた「同じ芸」を観客に見せ続けているのです。
「わたしゃも少し背が欲しい~!」ってね。
そう、アタシも青春時代思ったもんです。
「金も欲しいし女も欲しい。そしてできれば背も欲しい~」
バカ者~!!
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