最近はクールビズと言って冷房は+5度というキャンペーンがありますな。
おかげで、わが会社もこの7月からネクタイを外して出社しており、なんとなく首筋が落ち着かないが、慣れればそれはそれで違和感もなく、
むしろ夏が終わってネクタイを締めなおした時にキュッとなって窒息してしまわないかな?な~んて心配したりして。いや、それよりもネクタイの締め方を忘れてたりして…。
そんな戯言はとにかく。
最近の劇場は冷房が効きすぎる。
涼しすぎる。
いや、むしろ寒い。
季節感がなくなる。
だが、アタシが上京したばかりの頃は、毎日暑くってしょうがなかった。
ただ、当時の独身寮にあったのは小さな扇風機一台。エアコンなんざぜいたく品だった。
どうしたか?一計を案じたアタシは、
暑いときに冬の事を扱った寒い噺落語を聞けば
少しか涼しくなるんじゃないか-と思ってその条件にあう落語のテープを探しました。
アタマがおかしくなってたんでしょうね(笑)
で、見つけた噺が「鰍沢」
この噺、昔寄席で流行った「3題話」ってやつで、
~3題話って言うのは、そもそもお客様から、お題を3つもらい、それをネタに作る即興の落語のこと。
この「鰍沢」は「卵酒、鉄砲、毒消しの護符」の3題から「名人」三遊亭圓朝が即興で作ったものなのです。
昔、身延山を参詣した帰りに大雪にあい、道に迷った旅人が山中の一軒家に宿を頼みます。
と、そこにいたのは田舎にも似合わぬ妙齢の美人。
不思議に思いながらも卵酒を勧められて話をするうち、
お熊と名乗るその女が元吉原の遊女であったことが分かります。
卵酒を飲んでいるうちに疲れて眠くなった旅人、奥で横になります。
お熊は外に薪を取りに行きます。そこに帰って来たのがお熊の亭主。
「なんだい、亭主が留守の間に卵酒なんか飲みやがって…」と残った卵酒を飲むと途端に苦しみ始めます。戻ってきたお熊真っ青になる。
「おい、何でそれを飲んじまうんだよ。」
実は、お熊、旅人に痺れ薬を入れた卵酒を飲ませ、金を奪う算段だったのだ。それと知らずに亭主が飲んでしまったわけだからさあ大変だ。
騒ぎに気が付いた旅人、お熊の計略を知ってあわてて逃げようと思うのだが、毒入りの卵酒を飲んでいるから体が痺れて動けない。
ようやくのことで雪の積もる外に転げ落ちるとなんとか逃げようともがく。
そこで気が付いたのが持ち合わせていた身延山の毒消しの護符。
雪とともに護符を何とか飲み込んだ旅人、体の自由が利くようになって逃げるのだが、そこにお熊が毒を飲んだ亭主の仇と(勝手なものだが)鉄砲を持って追いかけてくる。
必死にお題目を唱えながら逃げてきたものの、ついには鰍沢の断崖絶壁に追い詰められる。
もうダメかと思った時、偶然に雪崩が起き旅人は谷底へ落ちる。
しかし、それはたまたま運よく川につないであった筏だった。
助かったと思うと次は落ちた反動で綱が切れ、筏は急流を下って行く。
ほっとして頭上を見ると、お熊が鉄砲を構えて立っている。
大変だ、こちらを狙っているぞ。何無妙法蓮華経…何無妙法蓮華経…
バァ~ン!
お熊の放った鉄砲の弾は旅人を襲うが、傍の岩に当たり窮地を脱する。
「この大難を逃れたも、ご利益、お材木(題目)で助かった」
この噺、最初に聞いたのは三遊亭圓生。それから芝居噺の林家彦六。
そして古今亭志ん生。3者3様の面白さです。(お暇なお方はCDでどうぞ。)ただし、これを聞いて寒くなれたかは忘れてしまいました(笑)
余談ですが、お熊が旅人に鉄砲を構えるときの描写があるんですが、
鉄砲を腰だめにして構えるのが志ん生流、
目で狙いをつけて構えるのが圓生流だそうです。
圓生さんがテープの解説で書いていたから間違いございません。
「あれは、やはり、狙って構えなければいけません。志ん生は間違ってます。」とは言ってたかどうか…。
所作の問題なので、どちらがいいとも言えないのですが、
こういうところもにこだわる名人の考え方、アタシは好きです。
おかげで、わが会社もこの7月からネクタイを外して出社しており、なんとなく首筋が落ち着かないが、慣れればそれはそれで違和感もなく、
むしろ夏が終わってネクタイを締めなおした時にキュッとなって窒息してしまわないかな?な~んて心配したりして。いや、それよりもネクタイの締め方を忘れてたりして…。
そんな戯言はとにかく。
最近の劇場は冷房が効きすぎる。
涼しすぎる。
いや、むしろ寒い。
季節感がなくなる。
だが、アタシが上京したばかりの頃は、毎日暑くってしょうがなかった。
ただ、当時の独身寮にあったのは小さな扇風機一台。エアコンなんざぜいたく品だった。
どうしたか?一計を案じたアタシは、
暑いときに冬の事を扱った寒い噺落語を聞けば
少しか涼しくなるんじゃないか-と思ってその条件にあう落語のテープを探しました。
アタマがおかしくなってたんでしょうね(笑)
で、見つけた噺が「鰍沢」
この噺、昔寄席で流行った「3題話」ってやつで、
~3題話って言うのは、そもそもお客様から、お題を3つもらい、それをネタに作る即興の落語のこと。
この「鰍沢」は「卵酒、鉄砲、毒消しの護符」の3題から「名人」三遊亭圓朝が即興で作ったものなのです。
昔、身延山を参詣した帰りに大雪にあい、道に迷った旅人が山中の一軒家に宿を頼みます。
と、そこにいたのは田舎にも似合わぬ妙齢の美人。
不思議に思いながらも卵酒を勧められて話をするうち、
お熊と名乗るその女が元吉原の遊女であったことが分かります。
卵酒を飲んでいるうちに疲れて眠くなった旅人、奥で横になります。
お熊は外に薪を取りに行きます。そこに帰って来たのがお熊の亭主。
「なんだい、亭主が留守の間に卵酒なんか飲みやがって…」と残った卵酒を飲むと途端に苦しみ始めます。戻ってきたお熊真っ青になる。
「おい、何でそれを飲んじまうんだよ。」
実は、お熊、旅人に痺れ薬を入れた卵酒を飲ませ、金を奪う算段だったのだ。それと知らずに亭主が飲んでしまったわけだからさあ大変だ。
騒ぎに気が付いた旅人、お熊の計略を知ってあわてて逃げようと思うのだが、毒入りの卵酒を飲んでいるから体が痺れて動けない。
ようやくのことで雪の積もる外に転げ落ちるとなんとか逃げようともがく。
そこで気が付いたのが持ち合わせていた身延山の毒消しの護符。
雪とともに護符を何とか飲み込んだ旅人、体の自由が利くようになって逃げるのだが、そこにお熊が毒を飲んだ亭主の仇と(勝手なものだが)鉄砲を持って追いかけてくる。
必死にお題目を唱えながら逃げてきたものの、ついには鰍沢の断崖絶壁に追い詰められる。
もうダメかと思った時、偶然に雪崩が起き旅人は谷底へ落ちる。
しかし、それはたまたま運よく川につないであった筏だった。
助かったと思うと次は落ちた反動で綱が切れ、筏は急流を下って行く。
ほっとして頭上を見ると、お熊が鉄砲を構えて立っている。
大変だ、こちらを狙っているぞ。何無妙法蓮華経…何無妙法蓮華経…
バァ~ン!
お熊の放った鉄砲の弾は旅人を襲うが、傍の岩に当たり窮地を脱する。
「この大難を逃れたも、ご利益、お材木(題目)で助かった」
この噺、最初に聞いたのは三遊亭圓生。それから芝居噺の林家彦六。
そして古今亭志ん生。3者3様の面白さです。(お暇なお方はCDでどうぞ。)ただし、これを聞いて寒くなれたかは忘れてしまいました(笑)
余談ですが、お熊が旅人に鉄砲を構えるときの描写があるんですが、
鉄砲を腰だめにして構えるのが志ん生流、
目で狙いをつけて構えるのが圓生流だそうです。
圓生さんがテープの解説で書いていたから間違いございません。
「あれは、やはり、狙って構えなければいけません。志ん生は間違ってます。」とは言ってたかどうか…。
所作の問題なので、どちらがいいとも言えないのですが、
こういうところもにこだわる名人の考え方、アタシは好きです。
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今や「ボヤキ」と言えば野村克也プロ野球楽天イーグルス監督の代名詞だが、
「ボヤキ」と言えばこの人、人生幸朗。
奥さんの生江幸子さんとの絶妙のやり取りで展開するボヤキ漫才は、今、テープで聴けるのかなあ?
その決まり文句が
「責任者、出て来~い!」
「出てきはったらどないすんのん!」
「謝ったらええねん」(ここでドっと沸く)
この人が売れたのは、60歳を過ぎてからだそうだ。
上方の漫才らしく、ソノ都度新しい話題を斬りまくっていたっけ。
確か、僕がNHKの上方演芸会で聴いた時はチャゲ&飛鳥や松山千春も題材に載せていた。
例えば伊東ゆかりこんな具合…
「伊東ゆかりが歌うとる「小指の思い出」な。」
「ハイ、いい歌でんなあ」
「あなたが噛んだ小指が痛い。昨日の夜の小指が痛い…って当たり前ヤがな!誰かて小指 噛みつかれたら痛いワ!」
「何ごちゃごちゃ言っとんねん!」
「2番もあるで」
「何が」
「あなたが噛んだ小指が燃える…。噛んだだけで小指が燃えるんやったら、消防自動車がなんぼあっても足らんやないかい!」
「アホか、このドロ亀!」
「かあちゃん、ごめんちゃい」
…雰囲気がわかっていただけるだろうか?
今、社会保険庁や、政治家の経費問題やら、
人生幸朗が今生きていたら、大活躍だったんじゃないかな?
師匠が彼らを、いったいどんな風に斬ってくれたか、本当に聞いてみたくもある。
「責任者、出てこ~い!」
「ボヤキ」と言えばこの人、人生幸朗。
奥さんの生江幸子さんとの絶妙のやり取りで展開するボヤキ漫才は、今、テープで聴けるのかなあ?
その決まり文句が
「責任者、出て来~い!」
「出てきはったらどないすんのん!」
「謝ったらええねん」(ここでドっと沸く)
この人が売れたのは、60歳を過ぎてからだそうだ。
上方の漫才らしく、ソノ都度新しい話題を斬りまくっていたっけ。
確か、僕がNHKの上方演芸会で聴いた時はチャゲ&飛鳥や松山千春も題材に載せていた。
例えば伊東ゆかりこんな具合…
「伊東ゆかりが歌うとる「小指の思い出」な。」
「ハイ、いい歌でんなあ」
「あなたが噛んだ小指が痛い。昨日の夜の小指が痛い…って当たり前ヤがな!誰かて小指 噛みつかれたら痛いワ!」
「何ごちゃごちゃ言っとんねん!」
「2番もあるで」
「何が」
「あなたが噛んだ小指が燃える…。噛んだだけで小指が燃えるんやったら、消防自動車がなんぼあっても足らんやないかい!」
「アホか、このドロ亀!」
「かあちゃん、ごめんちゃい」
…雰囲気がわかっていただけるだろうか?
今、社会保険庁や、政治家の経費問題やら、
人生幸朗が今生きていたら、大活躍だったんじゃないかな?
師匠が彼らを、いったいどんな風に斬ってくれたか、本当に聞いてみたくもある。
「責任者、出てこ~い!」
「そば清」という噺があって…、と申しましても、
このブログを覗くような酔狂なお方は、
だいたい筋をご存知なんじゃないか?と思い細かい説明なしに進めちゃいます。
アタシが聞いたのは名人古今亭志ん生とその長男の金原亭馬生の両師匠。
何でも賭け事の対象にしていた昔の江戸っ子、
酒賭け、醤油賭け、そして蕎麦賭け。
暇だったんですかねェ。
オイラ、酒はたしなみ、醤油は命賭けてまで飲みたくない。
やっぱ、蕎麦かな?
噺のマクラに曰く、
「蕎麦っ食いは身の丈だけ食べる」
これは別に蕎麦を箸でもってず~っと伸ばして170cmなんて競ってるわけじゃない。
アグラをかいて、重ねた蒸篭(せいろ)の高さが身の丈ほどと言うのが正解らしい。
当時の蒸篭は小さかったらしい。それでも身の丈なんて大変な高さ。
この人は蕎麦ッ喰いだってわかると、
「あんたいい食べっぷりだけど、いつも何杯やります?」
「いや~、せいぜい10かそこらで…」
「じゃあ、20で賭けましょう。オイ、賭けだよ!」
てなわけで、ハイヨと蕎麦屋も心得てる。
次から次からまるで
ワンコソバみたいに出てくる蒸篭に乗った蕎麦をズルズルツーッと20枚。
「今日は体の調子が良かったようですねえ。じゃ、どーも」と帰っちゃう。
この「ドーモ」が(金原亭)馬生師匠は絶妙、妙なおかしみだった。
負けて悔しい常連さん、次は30だって賭けをやったら
またズルズルチュー、「どーも」っておいやられちゃったよ、参ったねどうも。
見てて笑ってる人がいる。聞いてみればアノ人。
ソバ賭けを生業にしている清兵衛さん、通称そば清と言っていつも40杯食べる。
なんだい、オイ、というわけで金を取られた常連の怒るまい事か。
今なら、言って見れば、ギャル曽根やジャイアント白田が素人を語ったようなもの。
松坂大輔がスピードガンコンテストに出たようなもの。
どちらも変な例えか…
「どーも」
「おいおい、あんた「そば清」って40杯も蕎麦食べるそうじゃないか?それを20・30で賭けをして…よく取れたね。今度は50杯で5両だ。どうだい?」
清さん、考えた。40から45は自信がない。
「脇で一勝負してまいりました。また改めて、ど-も」
そして信州に旅に出た清さん、旅先でウワバミが猟師を丸呑みにする場面を見る。
そのウワバミ、大の男を丸呑みにして倍ほども膨らんだお腹だったのが、そばに生えている赤い草をペロ、ペロと舐め始めると、膨らんでいた腹がスーッと元どおりにへこんじまった。
これはいいぞ、ウワバミの腹薬だ。これさえあれば…って戻って来ると「どーも」
おい、清さんが帰って来たよ「50で5両かい?」「60で10両ってのはどうでしょう?」「へっ、10両?」
60杯で10両が掛かった大勝負。
清さん50までは順調。残り3枚で、箸が止まった。
ここで、次の間で風に当たらせてくれと清さんのお願い。
みんなで引き摺ってもらい、障子を閉めて一人になった清さん、
ここでかねて用意の「ウワバミの腹薬」を取り出してペロペロ、ペロペロ…
「ははあ、何か舐めてるね。腹薬だよ、よしなよ。もうあんなになっちゃ何を飲んだって効きゃしないよ。清さん、悪あがきはやめなさいよ...清さん...清さん? あれ? 」
みんなで、障子を開けて次の間に入ると、
そこには羽織を着た蕎麦が座ってた…。
ここで、アタシが聞いたテープの志ん生さんは説明をつけている。「これは、「人間を消化する」ための薬草だったのです。清さんはこれをしゃぶると腹の中の蕎麦が消化されて無くなると思っていたのですが、実は蕎麦はそのままで、人間である清さんだけが溶けてしまったんです」とやってた。
これとは別に、アタシが昔テレビで見た馬生師匠は「蕎麦が羽織を着てる」とだけ言ってニヤッと笑って下りてしまいました。この噺、元は関西の「蛇含草」と言う噺、オチは正直なところ志ん生より馬生が好きだなあ。
このブログを覗くような酔狂なお方は、
だいたい筋をご存知なんじゃないか?と思い細かい説明なしに進めちゃいます。
アタシが聞いたのは名人古今亭志ん生とその長男の金原亭馬生の両師匠。
何でも賭け事の対象にしていた昔の江戸っ子、
酒賭け、醤油賭け、そして蕎麦賭け。
暇だったんですかねェ。
オイラ、酒はたしなみ、醤油は命賭けてまで飲みたくない。
やっぱ、蕎麦かな?
噺のマクラに曰く、
「蕎麦っ食いは身の丈だけ食べる」
これは別に蕎麦を箸でもってず~っと伸ばして170cmなんて競ってるわけじゃない。
アグラをかいて、重ねた蒸篭(せいろ)の高さが身の丈ほどと言うのが正解らしい。
当時の蒸篭は小さかったらしい。それでも身の丈なんて大変な高さ。
この人は蕎麦ッ喰いだってわかると、
「あんたいい食べっぷりだけど、いつも何杯やります?」
「いや~、せいぜい10かそこらで…」
「じゃあ、20で賭けましょう。オイ、賭けだよ!」
てなわけで、ハイヨと蕎麦屋も心得てる。
次から次からまるで
ワンコソバみたいに出てくる蒸篭に乗った蕎麦をズルズルツーッと20枚。
「今日は体の調子が良かったようですねえ。じゃ、どーも」と帰っちゃう。
この「ドーモ」が(金原亭)馬生師匠は絶妙、妙なおかしみだった。
負けて悔しい常連さん、次は30だって賭けをやったら
またズルズルチュー、「どーも」っておいやられちゃったよ、参ったねどうも。
見てて笑ってる人がいる。聞いてみればアノ人。
ソバ賭けを生業にしている清兵衛さん、通称そば清と言っていつも40杯食べる。
なんだい、オイ、というわけで金を取られた常連の怒るまい事か。
今なら、言って見れば、ギャル曽根やジャイアント白田が素人を語ったようなもの。
松坂大輔がスピードガンコンテストに出たようなもの。
どちらも変な例えか…
「どーも」
「おいおい、あんた「そば清」って40杯も蕎麦食べるそうじゃないか?それを20・30で賭けをして…よく取れたね。今度は50杯で5両だ。どうだい?」
清さん、考えた。40から45は自信がない。
「脇で一勝負してまいりました。また改めて、ど-も」
そして信州に旅に出た清さん、旅先でウワバミが猟師を丸呑みにする場面を見る。
そのウワバミ、大の男を丸呑みにして倍ほども膨らんだお腹だったのが、そばに生えている赤い草をペロ、ペロと舐め始めると、膨らんでいた腹がスーッと元どおりにへこんじまった。
これはいいぞ、ウワバミの腹薬だ。これさえあれば…って戻って来ると「どーも」
おい、清さんが帰って来たよ「50で5両かい?」「60で10両ってのはどうでしょう?」「へっ、10両?」
60杯で10両が掛かった大勝負。
清さん50までは順調。残り3枚で、箸が止まった。
ここで、次の間で風に当たらせてくれと清さんのお願い。
みんなで引き摺ってもらい、障子を閉めて一人になった清さん、
ここでかねて用意の「ウワバミの腹薬」を取り出してペロペロ、ペロペロ…
「ははあ、何か舐めてるね。腹薬だよ、よしなよ。もうあんなになっちゃ何を飲んだって効きゃしないよ。清さん、悪あがきはやめなさいよ...清さん...清さん? あれ? 」
みんなで、障子を開けて次の間に入ると、
そこには羽織を着た蕎麦が座ってた…。
ここで、アタシが聞いたテープの志ん生さんは説明をつけている。「これは、「人間を消化する」ための薬草だったのです。清さんはこれをしゃぶると腹の中の蕎麦が消化されて無くなると思っていたのですが、実は蕎麦はそのままで、人間である清さんだけが溶けてしまったんです」とやってた。
これとは別に、アタシが昔テレビで見た馬生師匠は「蕎麦が羽織を着てる」とだけ言ってニヤッと笑って下りてしまいました。この噺、元は関西の「蛇含草」と言う噺、オチは正直なところ志ん生より馬生が好きだなあ。
チャンチャカチャカチャカ、チャンチャン!パフッ と始まる「笑点」のテーマ。
「ゲラゲラ笑って観るテレビ…」と始まる歌詞が昔ついていたと思ったが、
今回ブログネタにするつもりで調べたところ、2代目の司会者放送作家の前田武彦さんが付けた歌詞だったんですね。
放送回数が2千回を越える長寿番組。
ボクが覚えているのは初代司会者の立川談志師匠の最後の方からかな?
その頃の座布団運びは毒蝮三太夫さん。
その後の司会が前田武彦さん。
その後の三波伸介さんが司会になった頃が一番よく観てましたねえ。
相撲のあるとき以外は必ず観てました。
ボクが観ていた当時のメンバーは桂歌丸(現司会者)、三遊亭圓窓、林家木久蔵、三遊亭圓楽、林家こん平、三遊亭小圓遊(故人)座布団運びが松崎真(「手を上げて横断歩道を渡ろうよ」と交通標語を挨拶に取り入れていた)司会者と解答者のおかしなやり取りは最高に面白かった。
大喜利の前には、演芸のコーナーや料理を紹介するコーナーがあり、料理人の神田川利郎さんはこの番組で知った。
そんな笑点の大喜利。
ライバルというわけではないが、NHKの日曜演芸会では柳家小三治が横丁の月番という名目で大喜利の司会を行い、解答者は桂伸治(後に文治=故人)桂文朝(故人)桂枝雀(故人)春風亭小朝らが出演したが笑点ほどにはぱっとしなかったな。
最近はパワーが少し落ちた感じのするこの番組ですが、マンネリのよさというものもあるわけで、何とか続いてもらいたいもんです。
「笑~う点なら、そのものズ~バ~リ~。それはご存知それはご存知、笑点~だーよ!」(パフッ)
「ゲラゲラ笑って観るテレビ…」と始まる歌詞が昔ついていたと思ったが、
今回ブログネタにするつもりで調べたところ、2代目の司会者放送作家の前田武彦さんが付けた歌詞だったんですね。
放送回数が2千回を越える長寿番組。
ボクが覚えているのは初代司会者の立川談志師匠の最後の方からかな?
その頃の座布団運びは毒蝮三太夫さん。
その後の司会が前田武彦さん。
その後の三波伸介さんが司会になった頃が一番よく観てましたねえ。
相撲のあるとき以外は必ず観てました。
ボクが観ていた当時のメンバーは桂歌丸(現司会者)、三遊亭圓窓、林家木久蔵、三遊亭圓楽、林家こん平、三遊亭小圓遊(故人)座布団運びが松崎真(「手を上げて横断歩道を渡ろうよ」と交通標語を挨拶に取り入れていた)司会者と解答者のおかしなやり取りは最高に面白かった。
大喜利の前には、演芸のコーナーや料理を紹介するコーナーがあり、料理人の神田川利郎さんはこの番組で知った。
そんな笑点の大喜利。
ライバルというわけではないが、NHKの日曜演芸会では柳家小三治が横丁の月番という名目で大喜利の司会を行い、解答者は桂伸治(後に文治=故人)桂文朝(故人)桂枝雀(故人)春風亭小朝らが出演したが笑点ほどにはぱっとしなかったな。
最近はパワーが少し落ちた感じのするこの番組ですが、マンネリのよさというものもあるわけで、何とか続いてもらいたいもんです。
「笑~う点なら、そのものズ~バ~リ~。それはご存知それはご存知、笑点~だーよ!」(パフッ)
前にも言ったが、初めて入った寄席は、「上野鈴本演芸場」
漬物屋と間違えた。
上京してまだ2週目、日曜日鈴本の昼席にいったのである。
たぶん中入りで、古今亭圓菊師匠が「たらちね」か「替わり目」をやっていた。
昼席のトリは圓蔵師匠の「反対車」か「堀の内」だったんじゃないかな?
しかし、初めて寄席に来たボクの興味を惹いたのは
順子・ひろしのなんとも可笑しい漫才であり、
やなぎ女楽師匠の独楽回しだった。
両方とも、爆笑というわけではない。
くすっと笑ってしまう技である。
この加減がいい。
大爆笑をとってしまったら、トリをとる落語家を食っちまう。
そんなわけで、ボクの鈴本詣でが始まったわけです。
…では、続きはまたいつか