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2024/11/25 01:01 |
わっかるかな~?わっかんねーだろうな~。
昔、松鶴家千とせという芸人がいた。
わっかるかな~?
わっかんねーだろうな~。
絵に描いたような一発芸の人である。
て、いうか昭和の一発芸の代表みたいな人である、と言うのは言いすぎかしらん?

松鶴家の名前が示すとおり、
この人は松鶴家千代菊千代若師匠のお弟子であります。
「早く終わって帰ろうヨ」というギャグを残したコンビです。
その弟子だったわけなんで最初は漫才だったと記憶してますが、
やっぱり彼が売れたのは…シャバダバ~ウィ~で始まる漫談
「ヘヘェ~イ、シャバダバダ、俺が昔、夕焼けだった頃、弟は小焼けだった。父さんは胸やけで、母さん霜やけだった…わっかるかな~、わっかんねーだろうなぁ」とやって大ウケをとった。

世の中何がヒットするかわからない。
本当にヒットした。

どこに行っても、
彼が指を鳴らし
「夕焼けぇ、小焼けぇでぇ、陽がくれて~」とやると、それだけで会場の観客が大笑いしたものだ。

ただ、当時学生だった自分は全くこの人の漫談に笑えなかった。

公式プロフィールを見つけたので、自分の記憶を辿りながら調べてみた。

『昭和28年、歌手を志し福島県から上京。松鶴家千代若・千代菊へ入門。
 同時期、歌謡教室に通うかたわら、理容師の免許取得、そして、漫才・司会等、幅広く活躍した後、昭和42年千とせ流家元三代目・『松鶴家千とせ』を襲名。  
漫談という芸に自分の生きる道を見つけ、漫談の中に童謡を取り入れる。しかも、ジャズのフィーリングタッチで千とせ独自の「メルヘンの世界」を築き上げ、ファンの年齢層を広げると共に、『わかるかなぁ・わかんねぇだろうなぁ』の流行語を生みだし、爆発的な人気を得て、テレビ・映画・ドラマ・レコード・(歌手)・雑誌・CM・寄席等とマルチに活躍。
    昭和51年 第5回放送演芸大賞 漫談部門 受賞
    昭和51年 ビクター音楽産業株式会社よりヒット賞 受賞
    昭和59年 第8回パロディ展特別部門賞 優秀賞受賞
 お笑いスター誕生で、華々しく迎え、大衆芸能界では、常に新しいものを提供している貴重な人物であり、アメリカ諸国等海外進出し、まさに、吟遊詩人であり、日本を代表するエンターティナーである。』

現在の彼を考える時、どうかなと思うのはアタシだけじゃないだろう。
彼が50年代に売れまくったのは認める。
でも常に当たらしもの提供する貴重な人物とまで言えるのかちょっとわかんない。
その理由は、今彼は売れてないからである。
そして、それで十分、これは誇大広告である。

当時談志さんか「あんなもんはもたねえ」と言って自分の高座で「シャバダバ~」なんてやってたけどあれは談志流の批評だったのかね?

おそらく漫談に童謡を取り入れたと言うのは「夕焼けぇ、小焼けでぇ♪」とやった事をいってるんだろうし、
ジャスのフィーリングタッチとは指を鳴らしながら「イェ~イ、シャバダバ~とスキャットを挟んで『俺が昔、夕焼けだった頃…』と語ったのがメルヘンタッチというヤツだろう。
当時からアタシは笑ってなかったので、
アタシの頭の中では、完全に「あの人は今」状態だった。
今年で芸歴55年、今月は浅草東洋館に出演している千とせ師匠。

憶えているのは、「わっかるかな~」がひとやま越えて落ち着いていた頃、ジャズではなく南方の音楽みたいなノリで「ハイジャマージャ~」とやってハイジャというタイ人の若者の話をかけていたのを聴いたのが最後になって今まで来ている。
そこでも「ハイジャは敗者(ハイジャ)復活戦に登場した」というギャグを使って、無理やり笑いを取っていたけど、
正直アタシにはおもしろくなかった。
そして今も毎日お忙しい千とせ師匠。

この人の素晴らしいところは「芸はマンネリ」と達観しているところ
割り切って同じ芸をやり続けることの素晴らしさ。
この粘り強さは見習っておかないと。





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2007/12/09 02:18 | Comments(0) | TrackBack() | 漫才
ふじ ゆきえはなこのオペラ漫才がなつかしい
最近、オペラ漫才ってありますよね。
島田夫妻っていうコンビです。
一度テレビで観ましたが、
さすがモノホン?(音楽大学出身)の雰囲気を漂わせアリアを歌うように掛け合いを行う。
そう言えば、
「かつみ・さゆり」のさゆりさんも音大出の人じゃなかったっけ?

ま、それはそれとして

アタシがオペラ漫才で思い出すのが
「ふじ ゆきえはなこ」の女性コンビです。

覚えていらっしゃいますかね?

上京当時、よく寄席に出てらして

最近引退されたのを知って淋しく思ったもんです。
こんな掴みがありました。
登場早々に、はなこ師匠が

「いや~失敗したね~」

「何が?」

「こうやってお腹をたたいて人気出るんだったら、アタシもやっとけばよかった」

「おやめなさいよ!」(場内爆笑)

あきらかに当時大人気だった「いくよくるよ」に引っ掛けた掴みなのですが、
別にはなこ師匠は大柄だったがお腹が出ているわけでもなく、
どんなものでも笑いに持っていく上方流のお笑いではなかったので、
お腹叩いても無理だったでしょうね。

このお二人が演る「オペラ漫才」
東京らしいしゃべくりにゆきえ師匠のソプラノとはなこ師匠のアルト?
お二人とも美声でした。
だから逆に当時はやりの歌謡漫才はできなかったんでしょうかね?

このお二人のネタで「蝶々夫人」を使ったものが一番好きでした。

とくにピンカートンを見送る蝶々夫人が、
なぜか八代亜紀の「舟歌」を歌うところ
蝶々夫人役?のゆきえ師匠が
「お酒はぬるめの~燗がいい~♪肴はあぶった~蛸がいい~♪」とやって
そこにはなこ師匠が「イカだよイカ!」と突っ込むところだけ、
物凄くはっきり覚えてるんですよね。

昔から歌を歌って話を進めるのは漫才にはよくある演じ方ですが、
オペラを使ったのは、このお二人が最初じゃなかったかな?

大好きでした。
大好きなのに、このくらいしか語れないのが淋しくもあります。

2007/11/24 11:45 | Comments(2) | TrackBack() | 漫才
花筏(三遊亭圓生・桂枝雀)
今朝の立川志の輔「落語でデート」演目は「花筏」でした。
圓生師匠の名演。
この番組、昔の名人上手の、今は聞くことができない演目が聞けるのがいいところ。

さて、「花筏」ってどんな話?

江戸時代の話です。
今と同じで相撲取りは本場所が終わると勧進元に呼ばれて地方に巡業に出ていました。

「一年を十日で過ごすよい男」

当時の相撲は国技ではないにしても神事でしたので、
相撲を呼ぶって事は、土地の神様を鎮護する意味もあったらしいね。
四股を踏むのは穢れや邪気を払い、五穀豊穣や無病息災をこの土地にもたらす行為なんです。だから相撲取りは神様に神託をもらった特別な人、力士に抱かれた赤ちゃんは健康に育つといわれ、手形は縁起物とされるのです。いや、受け売りですけどね。
(わかるかな~?モンゴルから来た横綱よ)

さて、当時の相撲の番付の最上位は大関です。
横綱ってのは吉田司家が免許を与えた大関に対する名誉称号に過ぎなかったんですね。
だから、強くても時の運、お抱えの大名たちの力関係などで横綱になれなかった大関はいっぱいいたそうです。
有名なところでは雷電為右ェ門は大関止まりです。

おっと、花筏の話でしたな。

さて、江戸で名代(なだい)の大関である花筏が、
病気になって寝込んでしまいました。
ところが、実は花筏が所属する部屋が水戸の大浜に巡業に行くことが既に決まっており、先方の勧進元も花筏を是非連れてきてほしいとのことだったので困ってしまった。

困ってしまった花筏の師匠である親方が、近所の提灯屋の職人が花筏によく似ていることに目をつけて巡業に身代わりなってでくれと頼むところから始まるんですね。
提灯屋さん、最初はいやで断るものの、親方が提示した
「相撲は取らず、うまいものを食べて、酒飲んで、日当二分」という誘惑に乗せられ結局は大関の身代わりに水戸まで行くことにしたって話。
(上方落語だと、花筏は大阪相撲の大関と言う事になります。行き先も水戸ではなく高砂への巡業になります。)

さて、提灯屋さん、ニセモノとばれることなく
順調に興業もすすみ、
明日は千秋楽で江戸へ帰るという日になって、困ったことになった。
先方から一度だけでいいから大関の花筏に相撲を取ってもらいたいと言ってきたのだ。
親方も勧進元から口説かれて、なんとか仲間内の八百長でかたづけようと思案したのだが、

先方からはそれなら土地の素人相撲の千鳥ヶ浜と結びの一番をとってほしいと頼み込まれ、親方も渋々承知してしまった。

さあ、大変なのは提灯屋。

千鳥ヶ浜は、連日、本場の相撲取りを相手に連勝している地元の素人力士だ。プロでも勝てないのに酒太りの提灯屋なんか殺されてしまうかも知れない。
逃げる算段を考える提灯屋に親方が策を与える。
立合いで張り手を打つと見せかけて転べば、提灯屋もけがをせず、
花筏にも、病気のためという評判で疵がつかない。千鳥ヶ浜も勝つことで、地元の人も喜ぶ、これで三方うまく収まるだろうと言う事。
了解した提灯屋夜中にドシーンドシーンと転ぶ稽古。
一方の千鳥ヶ浜、夢にまで見た大関と相撲を取りたい。
しかし、両親は止める。なぜかと言うと、明日の相撲はプロを相手に連勝している千鳥ヶ浜への遺恨相撲になる。
最後に強い大関が出てきて調子に乗った素人相手に遺恨を晴らしてやろうという魂胆に違いないというものだ。
相撲をとったら勘当するという親の言葉に明日は出ないで見るだけにすると誓う千鳥ヶ浜です。

(噺ではこんな面倒くさいことはもちろん言いませんよ。「遺恨相撲になる」と一言です。上方落語では『一番憎い千鳥が浜、土俵の上で叩き殺して溜飲下げてシュ~ッと大阪へいのっちゅうので、一番強い花筏が出て来たんじゃ。』というセリフになります)

さて、翌日は千秋楽、
提灯屋、その気もないのに生まれて初めての相撲をとることになった。
千鳥ヶ浜も、その気がなかったのに周囲にはやし立てられ土俵に上がってしまった。
いざ、仕切りで相手の目を見てしまった提灯屋、
相手の物凄い闘志溢れる眼光に当てられすっかり金縛り、動けなくなってしまった。

「こりゃ、転ぶ前に投げ殺されてしまいそうだ、オレはここで死んでしまうのか」

思わず涙を流して念仏を唱える「南無阿弥陀仏」

千鳥ヶ浜、驚いた。

「なんで、大関は泣いてるんだ?…あ、こりゃあ、やっぱり遺恨相撲だ、親の言いつけを破った罰だ。オレはここで殺される」
と、涙を流し始める。

困ったのは行司、息が合うはずがない
思わず軍配をひいた。

「ハッケヨイ!」

提灯屋、転ぶこともできず夢中になって手を出して突いた。
千鳥ヶ浜は出遅れてひっくりかえってしまった!

軍配は「花筏~!」
会場大歓声です。
「今の相撲は見事な張りだね。大関の張り手はうまいもんだ」

うまいわけです。何せ商売が提灯屋ですから

長い引用だったね。
この噺、アタシはテープで先代の円歌と桂枝雀で聴いてますが、
上方と江戸の作品の作りの違いはあるものの、
笑いに関しては上方の方が数段面白い。
演じているのが枝雀だからかも知れないが。

提灯屋の描写、相撲風景、花筏が相撲をとらなければいけなくなった理由も、東京は「地元に頼まれたから」だけですが、上方は「宿の亭主が勧進元に偽者の行状を報告する。『花筏関、相撲の取れん病人やそぉでおますけど、毎日、飯三升に酒五升呑まはります。あんな達者な病人見たことない』おまけに宿の女御衆に夜這いをかけてしまうに至って、そんな元気なら相撲が取れん事はなかろう」ともって行く。

オチも「『見たか!花筏、強いなぁ~。千鳥が浜、何じゃかんじゃ言ぅてもやっぱりあきゃせんわい、素人じゃわい。花筏がひとつバ~ンと張っただけで飛んでしまいよった。花筏は張るのがうまいなぁ~!』うまいはずです。提灯屋の職人でございます。」と、スッキリとサゲる。

ひとつのテキストを大勢で寄ってたかって(言い過ぎか)磨いたり加えたり削ったりして作り上げるのが落語という作品と言う事を考えると、
この噺は比べて聴くともっと興味深いと思います。


2007/11/17 18:15 | Comments(0) | TrackBack() | 落語
三平襲名…さてこれからが
林家三平という落語家、
アタシはついに最後までよくわからなかった。

やっぱ印象的なのは「源平」かなぁ?

あの屋島の合戦のことを題材にしたヤツね。
那須の与一が鏑矢で船上に掲げた扇の的を射るまでの話だけど、
そこにいたるところで、いろんなクスグリを入れているギャグ噺。

その演者の個性が重要な噺です。

林家三平と言う人、
このギャグが半端でなかった。
円蔵サンのようにぶっとんだものではない。
それはむしろ古典的ですらある。

でも、やっぱり三平は面白かった。
このブログの最初の方の内容にかぶるんだけど、
これを蒸し返すのは、
次男いっ平が三平を継ぐ記事が載ったから。

アタシは林家正蔵の名跡とは異なり、
三平の名前は襲名してから作り上げていくものじゃないかと思う。
芸よりも芸人のあり方を問われる名前なんじゃないかと。

あの「家」に生まれた以上、一生抜けられない業のようなものの中で、
いっ平あらため三平がどう見せていくのか、
個人的にはとっても興味があります。

もちろん、芸を期待してないわけではないですよ。
ただ、アタシはいっ平の芸wぽ見ていないので…どうも、すいません

2007/10/31 22:15 | Comments(0) | TrackBack() | 落語
立川流家元の話を少々
「家元」立川談志という人は、一言で語れない人なんですけど、
あの人くらい、「文章で」自分を表現できる人はいないと思いますネ。

理論的な人です。でも、情の人でもあります。
落語そのものは情の世界のもので、理論にそぐわないんじゃないかと思うんだけど、このバランスがいいのでしょう。

アタシはこの人の「現代落語論」「新現代落語論」両方持ってます。

落語家の本は、昔の名人も今の落語家も出しているのだが、
談志家元、その量が凄い。完成度が違う。

内容も多様。

特に、誰かを攻撃するときには
その舌鋒鋭く、週刊誌に連載されてたビートたけしの毒舌○○なんぞ、及びもつかない。

ただ、愛嬌もある。
自意識の強いところと、シャイな昔気質が同居した人です。
ダメな芸人には、「コイツの芸はダメだ」と言い切ってしまう。

芸人というのは、己が才能に人生全てを賭けて生きる人だから
ま、誰もが自分の乏しい才能に頼って仕事をしているわけだが。
特に、狭いコミュニティーで生活している落語家の世界で、
同業者ってなかなか攻撃できないものだと思うんだけど。

そんなの関係な~い、って感じだ。

この人が志ん生、文楽、小さん、圓生といった名人について書いたものには、彼らに対する愛情と強い自意識と芸に対する冷徹な分析とが整理されずにごちゃごちゃと混ざっている。

人間というものが、理性と感性と本能と不条理がごちゃごちゃに混ざった混沌なんだから、人間を落語で全て描き出そうとする談志家元の語りが混沌としているのは仕方ないか…と思うしだい。

いや、家元が全身落語にどっぷり使ってる人=全身落語家なんですな。
この人が落語なんです。

ところで、最近始めた家元と、家元がその才能を買う太田光(爆笑問題)との2人でやってるラジオ番組…TBS「今夜は二人で」は、明らかに、昔家元が円鏡さんとやった「談志・円鏡歌謡合戦」の2番煎じなのだが、どーなんだろ?

初回の放送を聴く限り、飛躍もイリュージョンも感じられなかったのはアタシだけでしょうか?

今日の放送に期待したいです。

2007/10/27 10:10 | Comments(2) | TrackBack() | 落語

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