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2024/11/24 20:41 |
有名人の素人が落語をするのは結構
まずは、ニュースからね。

「日本テレビの男子アナウンサー6人が19日、「大銀座落語祭」で落語家デビューした。春風亭小朝(53)の前で先日行われた高座試験の結果が本番前に発表され、全員合格。約100人の観客を前に、藤井恒久アナ(38)が「お菊の皿」、羽鳥慎一アナ(37)は「あくび指南」、菅谷大介アナ(36)は「がまの油」、森圭介アナ(29)は「片棒」、高橋雄一アナ(32)は「やかん」、桝太一アナ(26)は「宮戸川」を汗だくで熱演。独自のクスグリも入れて笑いを誘った。この模様は同局が9月7日午後1時25分から放送、DVDとしても発売。」

アタシは落語好きな人なら、別に結構だと思います。
リスペクトがあるなら誰が高座に上がったってOKです。
頑張っていただきたいし、是非、落研以外にも落語というわ芸を広げてもらいたい。 
宴会で、ノド自慢、歌自慢の他に、落語自慢がいてもいい。

昔は宴会の真ん中、盛り上がってきたあたりで、上司が、

「おい、誰か一曲やれ」と促すと、
少し歌の上手い若手が、なるべく上司の理解しうる程度の歌を歌ったもんです。
セクハラがなかったときは女の子が歌いたくも無いピンクレディーを歌ったりしてね。
アタシの新人時代は細川たかしや沢田研二を歌うと盛り上がった。
最近はサザンらしいですね。年長者も若者も共通で理解できるアーティストは。

いや、そんな感じで、上司が演芸を促すんですな
「おい、誰か一席やれ」
「はい、では」と言って目配せすると、
若手から代表して一人前に出て
「では…、一席バカバカしいお笑いを…」とやる。

宴会芸って廃れましたね。
昔、宴会になったらどうしようって仕事そっちのけで悩んだりしたもんです。
一次会が、大人数で居酒屋、二次会がカラオケ屋になって、
歌の上手い人は増えたけど、
芸のある素人は少なくなりました。

ま、やりたいなどと思わないけど。

今回、アナウンサーが落語を習って発表する。
小朝さんが企画したものでしょう。

本職以外の人が落語をやると、面白いですよね。
昔、名人劇場で見たビートたけしの「落語チャンチャカチャン」なんて最高だったなあ。

まだ談志家元が立川流を起こす前ですよ。

うろ覚えだが、いろんな落語をモザイクみたいに組み入れたもので、
筋としてはわけが分からなくなってたんだけど、
サゲだけは覚えています。 
確か最後に
「よく来たね、さ、どうぞ、お上がんなさい 上がった上がった上がった…たーがーやー」ってやったんです。
(違ったかな~)

スゲーな、と唸りましたね。
古典大好きだったアタシも、この切り方には驚きました。
落語って話芸をバラバラにしてたけしの感性で組み立てなおした、
逆に本職の落語家じゃできないパロディーでしたよ。
新作の落語家さんは、古典の枠組みに乗っ取り現代の味付けで語るわけなんですけど、
噺そのものは落語という枠組みからはみ出していないんですね。
圓丈師匠以降、今の新作落語になると、枠組みそのものが破壊されたため(昇太、白鳥など)
もう新しさはないかも知れないんですが。

たけし落語はそれ(オチ)に留まらない。
その後に「もういちど、勉強し直して参ります」とやって 引っ込むんです。
思わず文楽か!って突っ込みたくなった。
 
でも、あの時のビートたけしは、まだ落語家(立川流)ではなく
単なる「落語好き」だったと思うんだよね。
落語好きな素人が自分の感性で落語の枠組みを作り変え、落語として発表したワケです。
たけしには、感性という才能があったんですね。
だから、映画の世界に進むとその才能は漫才師以上の有名人になった。
ただ、思うんです。
あの調子で、落語の道に進んでいたら、大銀座落語祭があったら、
絶対にナンちゃんより先に落語をやっていたろうし、
トリをとる事だってあったはず。

さて、話題を戻しましょうね。
大銀座落語祭ではいろんな人が落語に挑戦していて、
これはたぶん小朝さんの狙いなんだよね。
落語の大衆化、一般化の試みってやつ。

だから、今回最後になる落語祭で顔の知れている話のプロであるアナウンサーに
高座試験という形で落語に挑戦させたのはわかる。
その様子を放送してもOKっす。
でも、DVDにして売るのはどーよ。
金とるなよ。
ユーチューブに流せばいいじゃん。
そこまでやったら、素人落語に金を払うのかって話になる。
まあ、高座試験に合格したわけから、金取れる芸なのかも知れないけど。

落語の大衆化の方向は正しいですよ。
伝統演芸として歌舞伎の道を歩むよりはいい。
いくら落語ブームだといっても、
アタシは今年に入って落語をナマで聴いてない。
ブームくらい怖いものはない。いつ消えるかわからないんだから。
まだジャンルとして生き残りをかけているんですから。

それでも、思っちゃう。
アナウンサーの落語に金は払えるかよ?って。
アタシはプロの芸には金を払ってもいいけどね。

今回の試みがどんな意味を持つのか?
偉そうなこと言っても、
アタシはまだ一席も落語を語れないし、今回の試みも聞いてないからよくわからない。
少なくとも、落語が普通に効ける環境が整ってくれればいいな、と思う。

ゴメンなさい、オチはないです。
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2008/07/21 20:49 | Comments(0) | TrackBack() | 落語
小南落語をもう一度…
「はよこい はよこい 舟が出~るぞ~」

桂小南師匠の事を考えると、まず初めにこのセリフが浮かぶんです。

何の場面かわかります?
このブログを覗くような酔狂な御仁でしたらわかりますよね。

「三十石」という上方噺でござんす。

確か、テレビ・ラジオでは人間国宝の桂米朝師匠が得意にしている噺です。
米朝さんの得意な演目ですから、当然弟子の枝雀師匠も得意にしてまして、
枝雀さんの演目の割合には、どはずれたイリュージョンは少なく、むしろ絵画的に美しいお噺です。

つまり、この噺はは縁者の絵画感覚が出るんじゃないかな?なんて勝手に思ってます。

枝雀さんと師匠の米朝さんの違いも何となくそこに感じます。
米朝さんは書道で言えば楷書で絵画なら写実主義。
枝雀さんは行書ですが、絵画としては抽象画ではなく印象派の雰囲気がします。

さて、小南さんに戻ります。

この師匠の落語は、独特のもので、上方落語でもなく「小南落語」と称されるほどユニークなものです。
それは、長く東京落語の中で師匠の金馬さん(先代)から江戸落語を習った後、
上方に転向したのが原因ではないかとされていますが、
アタシは上方落語を最初に聞いたのが小南さんなんですから、仕方ありません。
この次に聞いたのが、米朝さんじゃなくて、仁鶴さんですから、(次が三枝さん、小染さん…要はヤングOH!OH!なんですよ。)アタシの上方落語放浪はコテコテが始まり、やがて鬼才桂枝雀にぶっ飛ばされてから、
その上の大師匠格に行きます。
春団治(いかけや)、小文枝(文枝)(舟弁慶)、松鶴(一人酒盛)、米朝(不動坊)
そんな中で「三十石」は米朝師匠で聞いたわけですが、なぜか、小南師匠の「三十石」が頭から離れない。
なんでしょうね?これ。
その中のひとつが「はよこいはよこい、舟がで~るぞ~」なんですヨ。

他に、こういうのもありますね。「おちりにあんぽんたんはどうどす?西のとういんがみはいりまへんかいな?まきすもじのおいしいのはどうどす?」「あんたあんぽんたん?」と言われた男が「そっちいね(行け)!」と怒鳴るわけです。

またまた失礼、小南師匠の話題でした。

小南師匠をテレビで見たのは「JARO(公共広告機構)」の電話マナーに関するCMだったと記憶してます。
後に寄席で見たのはまだ鈴本だったと思うんだけど、よく覚えてません。
「転失気」だったかなあ。

だから、「三十石」を小南師匠で聞いたのは、ラジオだと思うんですよね。
先に述べた方々の作品に比べると小南師匠の「上方落語」は、あっさりしていて、
写実でもない、デフォルメでもない、墨絵の日本画のようなすっきりした後味を感じる噺でした。

不思議な事に、彼の弟子はみな江戸落語で、僕の好きだった文朝さんも江戸落語でした。
後に、芸術協会と鈴本演芸場の関係が切れたときに「寄席に出られなくなる不安」を感じた弟子の南喬さんと文朝さんが落語協会に移ったときには相当責任を感じたと歌丸師匠の本にも書かれています。

真面目一徹、生涯稽古の鬼だったそうです。
あーいう雰囲気の上方落語も中々聴かれません。
きっと、あっさり好きな東京の客の前で上方落語を演じ続けたからかも知れませんね。

落語の蔵では師匠の「河豚鍋」(これも面白い噺です)が視聴できるみたいですよ。

アタシのお薦めは前述の「三十石」「代書屋」「河豚鍋」「ぜんざい公社」かな?
もちろん他にもお薦めはいっぱい。

あなたのお好きな小南落語は何でしょうか?
小南落語をもう一度…




2008/07/13 11:05 | Comments(0) | TrackBack() | 落語
星空寄席…
ネットで
2008年の八ヶ岳自然文化園星空観望会のスケジュールを見ていたら、

「柳家小ゑん師匠の星空寄席」というアトラクションを見つけた。
それで、懐かしくて「星空寄席」で検索したら14600件もありましたよ。

…懐かしいなあ。

上京したばかりの昭和57年頃、
当時、東京で一番高い建物だったサンシャイン60には、
プラネタリウムと水族館があった。
水族館は今でもあるんだろうが、
プラネタリウムは一度閉鎖され、現在は新しい名前になっていたんじゃないかな?

当時のイベントは、柳家小ゑん師匠(当時はまだ真打じゃなかったんじゃないかな?)が2席。
それから紙切りの林家一楽さん、
圓丈師匠の弟子の三遊亭丈々寺さんが前座だった。

小ゑん師匠は1953年生まれですから、アタシより7歳上です。
アタシが「星空寄席」を見た頃は30代、師匠の今を見てないので申し訳ございませんが、とても元気でエネルギーに溢れた方でしたね。
記憶を辿りながら、サンシャイン星空寄席をプレイバックしてみます。

開口一番が三遊亭丈々寺さん
圓丈師匠の弟子だから、新作をかけたのだが、
この噺が、当時浩宮と呼ばれていた現皇太子の結婚初夜の話を笑いにするというもので、内容は忘れてしまったんですが、
あまりの過激さに場内がドン引きになったと記憶しています。

あ、ここで、忘れていただいては困るのですが、
会場は『プラネタリウム』なんです。
行った事のある方は想像できるでしょうが、
車のリクライニング・シートに座っているようなものです。
そんな格好で文字通りの高いところにある高座を見ているわけですから
とても、落語を聞きながら笑う体勢じゃない(苦)

そんな中で、小ゑん師匠が掛けたのは「ぐつぐつ」
鍋の中で煮えていく具同志の会話を面白おかしくつなげたものです。
同様の噺では洗濯機の中で廻る洗濯物の噺「ぐるぐる」もあります。
ここまではバックはまだ明るい。

さて、次は紙切りの一楽さん(現3代目正楽)
紙切り芸は、お客さんのリクエストなどに応じて
一枚の紙から一筆書きのように絵を作り出す。
それをいつもなら黒地の紙に貼り付けてみせるのだけど、
この日の会場にはプロジェクターがあります。
それに乗せて天井に映すのです。
紙を切る間が間延びしないようにするのか、
紙切り芸は語りながら鋏ではなく紙を動かします。

「…えー、紙切りは鋏ではなく、紙の方を動かします。…ついでに体も動かします。…みなさんもよろしかったらご一緒にどうぞ」
とやって笑わせる。

この時、アタシは「ねずみ」を注文して切ってもらいました。
あとで、帰り際「子年」なんですといったら
「アタシと一回り違うんだね」とおっしゃってました。
アタシは48歳の年男。
師匠は今年60歳なんですね…。
…しみじみ

トリは、また小ゑんさんです。
夕陽が落ちて星が浮かんでくる夜空をバックにして一席
天の川に浮かぶ白鳥座が噺をする噺で、
題名は確か「白鳥のささやき」だったかな?

ただ、この星空落語を2回見てるので、
この通りだったかはわかりませんが…。

最後には日が上りお開きとなるものですが、
まるで、一晩過ごした後みたいな不思議な気がしたものです。

師匠はまだ「星空寄席」をやってるんだなあ、と、
妙な感慨に浸ってしまいました。

今宵は雨
首都圏の空に星はなかなか見えません…

2008/05/24 19:48 | Comments(0) | TrackBack() | 落語
寄席で聞いた漫才~順子・ひろし
上野鈴本で初めて寄席に触れた。
もちろん落語が聞きたかったからだが、
合間に挟まる「色物」の芸には正直、惹かれた。
特に東京の寄席の漫才は昔子供の頃ラジオで聴いてた雰囲気そのままで、
面白いよりも、懐かしい気持ちがしたものだ。

「えつやひでや」「のいるこいる」「京丸京平」「球児好児」
「三太良太」「桂子好江」「ゆきえはなこ」「順子ひろし」

オンタイムで聴く事ができた。
漫才グループの名前は、名前を二つ連ねて表示している事が多い。
これらの名前の上に何がつくか?

「(新山)えつやひでや」「(昭和)のいるこいる」

「(東)京丸京平」「(青空)球児好児」

「(さがみ)三太良太」「(内海)桂子好江」

「(ふじ)ゆきえはなこ」「(あした)順子ひろし」

上にはちゃんと亭号が付くがだいたい下の名前で覚えてますね。

で、アタシが当時好きだった漫才コンビは、
「ゆきえ・はなこ」と「順子・ひろし」でした。

前者は「オペラ漫才」の話で書いたのですが、惜しくも引退なされて
今は見る事もできません。

「順子・ひろし」のご両人は、まだまだ現役です。

NHKの真打競演にも出てきます。

このコンビの凄さは、型は昔ながらの漫才なのですが、
現代性も持ち合わせたセンスのよさです。
適度に流行歌を織り交ぜて、漫才を組み立てるのは、
センスだと思います。

アタシが聴いた鈴本の舞台では、
確か、ひろしさんがマッチの「振られてバンザイ」と
シャネルズの「ランナウェイ」を歌っていました。

これ、カンタンなことじゃない。

ベテランが若い人に媚びた芸を見せても違和感しか残らない
今の若いコンビが今の歌を歌った場合、上手かも知れないが、
それはそれで、年代の会わない客を置いてけぼりにするし、
必ずしも、芸にはならないかも知れない。

うまく説明できないけど、
「順子・ひろし」の芸は凄いのです。
古い型の漫才で、今の笑いが取れるのです。

お笑いというジャンルは時代が選ぶものと言えます。
歌笑や三平といった爆笑王にしても、
あの時代を抜きにして考えることはできないでしょう。

(今聴くと、林家三平どころか、ツービートやB&Bでもあまり笑えない。)

順子・ひろしは、面白い。
この話はまた別の機会で…

2008/04/26 20:24 | Comments(0) | TrackBack() | 漫才
うーん、まだまだ!
先日、名跡の復活の話をして、
その中で、名跡かどうかは別として、
林家木久蔵という名前も2代目が誕生した。
きくお改め木久蔵である。

NHKのラジオで林家木久蔵(当代)の野ざらしを聞いたけど、残念だけどマダマダだったね。
とてもじゃないが、
笑いも感心もしなかった…。

「鐘がぼんとな~りゃあさぁ…」と主人公が唸る一節も中途半端
この人の噺は誰から習ったんだろ?

この噺は元々先々代の春風亭柳好さんが有名だったネタらしいですね。
アタシは、小三治師匠で、昔聞いた事があります。
これはNHKのテレビだったか、
それとも寄席だったか、覚えてないです。

柳好師匠の噺は、テープがあって、それを聴いた事もありますが、
小三治師匠の演出は、それに似たもので、

「鐘がぁ~ゴンとなりゃさぁ 上げ~潮ぉ南さぁ♪
カラスがパッと出りゃ コラサノサ~ィ 
骨(コツ)があるサーイサイ そらスチャラチャンたら」
のサイサイ節はとても上手かった。
アタシはこの噺、そこが一番好きなんだ。
それから、妄想でのろけているうちに、自分の鼻を釣ってしまい腹を立て、

「こんな物が付いてるからいけないんだよ。大体な、釣りにこんな物要らねぇんだ!」

そう言うと、外した釣り針を川に放り込んで「サァ来い!!」

「おいおいあの人、針捨てちゃったよ!」
ってところ。

たぶん、木久蔵さんの噺はそのあたりがよくなかった。
特にサイサイ節は、自信が無かったとしか感じられなかった。

だったら、むしろサイサイ節じゃなくて、
ラップでやったってよかったんだよね。
アタシゃ、そう思う、

改作はまずいかも知れないけど、
下手なサイサイ節を聞くよりはずっといい。

一生懸命、古典を学んでいるという木久蔵さん、
ぜひ、得意な噺を聴いてみたいものです。

2008/04/20 14:58 | Comments(0) | TrackBack() | 落語

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