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2024/03/19 20:55 |
キング・オブ・コント
先日、テレビでやってました。
「キング・オブ・コント」

家族は面白がってみてましたよ。
バナナマンが優勝すると思ってたらしいですが。

日刊サイゾーによると大コケだったんだそうな。

もっとも、サイゾーの影響を視聴者の何人が受けるか
甚だ疑問なので、
彼らの分析は別として。アタシは今回無視します。

ただ、TKOやロバートみたいなテレビに人気者が出ていた中で、
関東エリアでは無名に近いバッファロー吾郎が優勝したのは、
そして優勝して泣いてまでいたのは、
よかったような気もする反面、最終的にジャッジさせた審査員=芸人達がバッファロー吾郎の後輩芸人だった事が思惑とは違う形で水をさしたね。

それしても、プロのコント芸人と言える人が何組いて、
何組が「すべらない話」や「アメトーク」より面白いもの~つまり楽屋話より面白いものを見せてくれるのか期待していたとすれば、「プロの芸を見せるのって難しいね」というのが感想です。

特にコントに関して言えば、SMAPや、モーニング娘。とかが普通にやってみせるわけで(志村けんさんなんかがグラビアタレントとコントやるのはまた違うけど)その中で、キャラクターに安易に頼らず、本当にギャグで会場を湧かせるのって「イロモネア」より難しいんじゃないのかな?

アタシがコントの芸人として頭に浮かべるのは、
コント55号は別格としても、
ラッキー7とか
コントレオナルドとか
もう無いものねだりになってしまうものね。

やっぱ芸なんだよね。
欽ちゃんジャンプは芸でしょ?
ポール牧さんの指パッチンって芸でしょ?
レオナルド熊さんの(あの人はキャラもあるけど)ボヤキって芸でしょ?
ああ、ゆーとぴあのゴムパッチンも芸でしょ?
コントだってネタと芸なんですよ。

アイドルだって普通にできるコントを芸に持っていく事って本当に難しいんですよ。

もし、キングオブコントをメジャーに持ってくつもりなら、
レッドカーペットやアメトークなんかに出て才能を減らすことを避けて、
コントの作品を見せる場を提供しないと、難しいね。

今って、ネタがしょぼくても、芸がなくても、キャラが強烈だったら、勝てる時代なんだもの。

ネタを作る前にキャラが濃かったらそこでウケをとってしまうわけで、
いずれ、作品(ネタ)も芸も無用になってしまう。

アタシゃ思う。
コント芸人をもっと寄席に出そう。
寄席の客の目に耐える作品だったら、
絶対プロとして笑いが取れると思う。

プロのコントをテレビの前に引きずり出すのは本当はよくない。

そもそも、笑芸人のゴールはテレビ司会者じゃないでしょ?

あー、また言い過ぎた。
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2008/10/12 15:41 | Comments(0) | TrackBack() | テレビ・ラジオ
お好み演芸会の記憶
「それでは、順番に自己紹介をどうぞ」

「えー、目はパッチリと横町のフランス人形~桂伸治です」

「寄席に咲いた一輪の白百合、桂文朝です」

「すわって子供、立てばやっぱり子供です、三年二組、三遊亭歌奴です」

「え~、桂枝雀でございます~(だったっけ?)」

「幻の噺家、三遊亭圓弥でございます」

「横丁の若様、春風亭小朝でございます」

「はい、アタシは年中月番の柳家小三治でございます」

と始まった記憶のお好み演芸会のコーナー「はなし家横丁」
最初は三遊亭金馬さんがメンバーで、小朝さんはアシスタント(笑点でいう座布団運び)の後入れ替わりでレギュラーになったと記憶。
小朝さんがレギュラーになった後は、「横丁の美緒ちゃん」と言って女性タレントがアシスタントになっていたと記憶してますが、高野美緒だったか中野美緒だったか、…覚えてない。

金馬さんがいた頃は伸治さんが横丁の八っあん、金馬さんが熊さんという設定だったと思いますが、どうですかネ?

アタシの記憶では、こんなものですが、補足してくださる方がいらっしゃったらお願いします。

しかし、よく考えたら
小三治さん、金馬さん、小朝さん以外のレギュラー噺家さんは、みんなお亡くなりになってるんですね。

こんなところにも時の流れを感じます。

2008/04/02 08:53 | Comments(0) | TrackBack() | テレビ・ラジオ
山田くん、座布団一枚!(笑点その2)
去年の6月30日付けのブログで「笑点」を取り上げました。
http://totakeke302.blog.shinobi.jp/Entry/11/

今回はそんな笑点の座布団運びについて一言

発見がありました。
なんと「笑点研究所」という素晴らしいサイトがございました。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/greenhill/shoten/top.htm
内容といい考察といい、全く労作と言う他はなく、
今回、アタシの足りない知識の補完作業に使わさせていただきました。

出演者と司会者については、立川談志-前田武彦-三波伸介-三遊亭圓楽-桂歌丸と続いているのかと思ったら、金曜夜席まで遡ると本当の初代は圓楽さんだったんですね。

このことについては、後に桂歌丸師匠の著作「歌丸ばなし」でも触れられていて面白かったので、また紹介します。

さて、座布団運びの話です。
アタシが知ってるのはウルトラマンのアラシ隊員、ウルトラセブンのフルハシ隊員こと石井伊吉~今の毒蝮三太夫さんです。この名前は談志家元の命名らしいですね。
この名前で俳優から大きく芸域が広がった蝮さん、いまやラジオで年寄りのアイドルです。

しかしながら、座布団運びの初代は、
後に桂文字助となった三升家勝松
毒蝮さんに変わったのはS42年1月だそうです。

前武さんの司会の時は三遊亭笑遊~桂米助・小野千春だったそうです。
この辺、不思議なくらい記憶があまりありません。
当時は演芸大好き小学生で「ゲラゲラ笑って見るテレビ ドキドキしながら見るテレビ メソメソ涙で見るテレビ~♪」と歌ってたはずなんだけど。
わずかに小野千春という名前を覚えているくらいです。

さて、アタシが一番観ている三波伸介さんの時代には
「手を上げて横断歩道を渡りましょう。松崎真でございます」の松崎真さんが、大きな体で座布団を運んでました。
この方は俳優だったそうです。
現在は公演活動をしているらしい。

また、ついでに言うと、この時期前座で若手大喜利に出ていたメンバーの中に、後にずうとるびを結成し、アイドルにもなった現在の座布団運び山田隆夫さんがいるわけです。

歴史が長いと本当に面白いですな。

まだまだ、語り足りない「笑点」であります。

2008/03/12 10:30 | Comments(2) | TrackBack() | テレビ・ラジオ
笑点…
チャンチャカチャカチャカ、チャンチャン!パフッ と始まる「笑点」のテーマ。

「ゲラゲラ笑って観るテレビ…」と始まる歌詞が昔ついていたと思ったが、
今回ブログネタにするつもりで調べたところ、2代目の司会者放送作家の前田武彦さんが付けた歌詞だったんですね。
放送回数が2千回を越える長寿番組。
ボクが覚えているのは初代司会者の立川談志師匠の最後の方からかな?
その頃の座布団運びは毒蝮三太夫さん。
その後の司会が前田武彦さん。
その後の三波伸介さんが司会になった頃が一番よく観てましたねえ。
相撲のあるとき以外は必ず観てました。
ボクが観ていた当時のメンバーは桂歌丸(現司会者)、三遊亭圓窓、林家木久蔵、三遊亭圓楽、林家こん平、三遊亭小圓遊(故人)座布団運びが松崎真(「手を上げて横断歩道を渡ろうよ」と交通標語を挨拶に取り入れていた)司会者と解答者のおかしなやり取りは最高に面白かった。

大喜利の前には、演芸のコーナーや料理を紹介するコーナーがあり、料理人の神田川利郎さんはこの番組で知った。
そんな笑点の大喜利。
ライバルというわけではないが、NHKの日曜演芸会では柳家小三治が横丁の月番という名目で大喜利の司会を行い、解答者は桂伸治(後に文治=故人)桂文朝(故人)桂枝雀(故人)春風亭小朝らが出演したが笑点ほどにはぱっとしなかったな。
最近はパワーが少し落ちた感じのするこの番組ですが、マンネリのよさというものもあるわけで、何とか続いてもらいたいもんです。

「笑~う点なら、そのものズ~バ~リ~。それはご存知それはご存知、笑点~だーよ!」(パフッ)

2007/06/30 23:59 | Comments(0) | TrackBack() | テレビ・ラジオ
「林家三平」の記憶
ボクは子供時代、テレビで寄席中継や、テレビのスタジオでやっている演芸を見ていたわけだが、

その頃のスターは「爆笑王」林家三平
どこのテレビにも出ていたアノ人。

「ドーモすいません」って言ったらみんな同じポーズをできるはず。

今でこそ、アノ人は偉かった凄かったとみんなで言うけど、
テレビで見ていた人はほとんど「クダらない」「馬鹿馬鹿しい」と言いながら笑っていました。
昭和30年代~40年代当時でさえ、そうでした。

ましてや、亡くなる晩年においておや、です。
アノ人が本当に凄かったのは、
大病をして復帰して上がった高座で、
昔と全く同じ芸を見せたって事。

昔と同じ芸と言っても、普通の芸人とは違う。
三平さんは、昔と同じ小噺をつなげるギャグをやったんですよね。
これが凄い!
その時の高座はテレビで流れたはずです。

「どうもすいません」

「もう大変なんすから」

「好きです、好きです、よし子さ~ん、ってご存知です?お嬢ちゃん!」

「アタシがこうやったら笑って下さい」

「ホント、身体だけは大事にして下さい」

「こっちから向こうのお客さん、笑いが少ないすよ。お願いすから」

不思議なもんで
上のような言葉(フレーズ)を適当につなげると何となく三平さんの落語に聞こえちゃう。
師匠の高座が目の前に浮かんでしまう。

正月になったらこのギャグの中に
「棚から物がおっこって『元旦』(ガッタン)」といった小噺?が必ず入る。
他には電気サルマタの話もあったっけ?

三平師匠の噺を聴いているお客さんみんながそのフレーズも小噺のオチも知っている。
なのに聴いてて笑ってる。

ボクの年代以上の人は多分みんな三平さんのギャグを覚えてる。
くだらない、くだらないと言いながら、
みんな三平さんが好きだったんですよね。
「本当にクダらない」
寄席で見たかったなあ。
S55年死去。
ボクが覚えている三平師匠の噺は「源平盛衰記」

ところで、
三平師匠のしゃべり方は、息継ぎも、間の取り方も独特で、
これは今の正蔵師匠も継いではいない。こん平師匠でもない。
たとえが適当じゃないかもしれませんが、
あえて言えば、
三平さんのしゃべりは、声も含めて今ならキャイーンの「ウド鈴木」に近いです。

どーです?似てませんか?

2007/06/13 09:34 | Comments(2) | TrackBack() | テレビ・ラジオ

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