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2017/07/27 07:28 |
師匠と弟子と言う関係について
浜美雪「師匠噺」という本を読んだ。
2回目の読書である。
要は、落語家の師匠と弟子の事について書いてるだけなんだけど、
これがまた、なんとも面白い。
登場するのは

・笑福亭松鶴と鶴瓶

・春風亭柳昇と昇太

・柳家小さんと柳亭市馬

・桂文枝とあやめ

・柳家さん喬と喬太郎

・古今亭志ん朝と志ん五

・三遊亭圓丈と白鳥

・春風亭小柳枝・柳昇と瀧川鯉昇

・林家こん平とたい平

・柳家小三治と喜多八

・林家木久蔵と彦いち

・立川談志と志の輔

みんな濃いですな。
この師匠にしてこの弟子あり。
読み進めると、元々他人同士の関係にしか過ぎない、
師匠と弟子との関係は偶然の積み重ねにすぎないのに、
必然に見えてくるから面白い。

ハチャメチャな松鶴師匠についたハチャメチャな弟子の鶴瓶
実際は噺をほとんど教わってないこの弟子が、最近師匠に似てきてるのはなぜだろう?「師匠、稽古付けてください」「いやや!」
いやや、ってねえ…。


飄々として意外と闘う落語家でもある柳昇と昇太も面白い。
本当は古典ができるのに「新作ができなくなったと思われるのが嫌で」80歳を過ぎても新作を書き続けた柳昇師匠は物凄い。
この一代限りの強烈な芸風を持つ師匠についた昇太も、
「古典は天然の鯛で新作は養殖。ボクは自分好みの鯛を養殖したい。」
として古典と闘い続ける。

狂気の師匠(家元)談志からショック療法で既成概念の破壊する事を教わるサラリーマン出身の志の輔。
夜中に電話がかかってきて、あわててバイクを飛ばして師匠の家に行くと、「悪いが冷蔵庫からラップにくるんだシラスを出してくれ」だと。
アタシなら暴れるね(苦笑)
でも、こうした俺の弟子になるなら、俺の納得するような行動と勉強をしろ。という強烈な師匠がいて、現在の志の輔があるわけで。

いちいち書いていたらきりがないけど。
図書館にあったら是非ご一読をお勧めします。

なるほどと思ったのが「まくら」という前書き。
師匠と弟子という意外な関係。
本当の家族じゃないから、いつでも解消可能なこの関係が、
本当に濃く見えるのは芸があるから。
それも、特に稽古もつけてないのに芸風が師匠に似てくるという不思議。
芸とは何だろう?
継承とはどういう事なんだろう?と考えさせる本です。
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2009/05/09 16:29 | Comments(0) | TrackBack(0) | 想いゴト
芸とは儚いもんですな。
おっとう、
少し寝ているうちに、1月以上過ぎていたね。
なんて…。

最後に書いたのが「落語娘」かあ。
川柳川柳師匠は稀代の変人だって事は伝えたかったんですよね。
アタシは、幸運にして師匠の「ガーコン」を見る事ができたわけですが、
もう、中身を覚えてない(笑)

ただ、ラッパとウッドベースの口まねが物凄く上手かったという記憶だけが残ってる。

師匠本人だったら
それだけで十分だって言うんでしょうが。

今は、落語を録ったテープやDVDがありますから、
ちょっと名の売れた芸人さんや、昔の名人上手の演目は、
アタシらみたいな乗り遅れたファンなんかにも
簡単に聴く事ができる。

それでもやっぱり、
芸って儚いなと思ってしまう。

例えば、何度もこのブログで話を出すけど、
アタシが池袋演芸場で泣くほど感激した志ん朝師匠の「幾代餅」
今だって、テープやDVDで聴けるけど、
やっぱり、あの場で聞いたものは違うんですよね。
口ぶりも声の高さも手振りもノリも違う。

これは当たり前で、
ライブの芸はその場の観客のノリようでいかようにも変わってしまう。
あの日の池袋演芸場に来たお客さんの食いつき方から、笑いのツボまで、
感じながら演った志ん朝師匠の「その場限り」の名演だったと思うんです。

だから、1回こっきりだけど、アレ以上の志ん朝落語をアタシゃ知らない。

圓鏡さん~いや圓蔵師匠の「反対車」なんて何回聞いてるかわからない。
鈴本でも聴いた。
末広亭でも聴いた。
何回でも笑うネタだが、やっぱり、ハコの大きさも違うけど、
演リ方を変えているんでしょうね。

ライブ芸人の凄さです。

尊敬する作家の?堀井雄一郎さんが「落語はライブで聴こう」とおっしゃる。

確かに金と暇があればいくらでも、当代の名人を聴く事ができるわけで、
いつまでも圓生・志ん生・金馬・小さんのテープにかじりつくこともないんですよね。

しかし、ライブ芸はブレがある。
体調、場所、お客、演目などなど。
今のお客さんは、このブレにガマンできないんだね。

CDではいいんだけど、
ライブだと下手っぴいなユーミンみたいな(失礼)歌手もいるし。
アタシの大好きなプロレスなんかでもそう。
先週と今週の興行で、全然試合の感じ方が違ったりする。
同じような選手が高度な試合をやってみせても、
面白くなかったりする。

たぶん、テレビゲームじゃないけど、完成品を見慣れた客には
ライブのブレが許容できないんじゃなかろうか?

談志家元なんか、一度下丸子のホール落語で、余程納得できなかったらしく一度自分でも言ってた「今日は上手くできなかった。悪かったね。」なんてロビーに出てきて謝ってた。

あり難かったけど、実際その日の演目はまったく記憶に無い。
たぶん、おもしろくなかったんだろう。

いやー芸って、本当に儚いもんですね。
記録にとどめても、残せないものがある。

やっぱり、寄席に通うしかないんですよ。

寄席の方が、アタシらを裏切らないことを祈りながら、ね。

2008/10/12 14:41 | Comments(0) | TrackBack(0) | 想いゴト
新年1回目の書き込み
あけましておめでとうと言うには、
ずいぶん日が過ぎてしまいましたな。

いやー、参った参った。
登録したメルアドを変えて、ログインしようと思ったら、
パスワードを忘れてしもうた(苦笑)

アタシとした事がね。

ようやくじっくりPCの前に腰を据えて作業を行い、
書き込み再開です。
またよろしくお願い申し上げますワ。

しかし、年末年始は、まったりと時が過ぎていきますね。
いや家の中だけですが…。
世間は忙しないですね。
テレビ演芸も、何となく浮き足立った形で落ち着かない。
前も書いたけど、
最近のライブ演芸ってものに、付いていけなくなってきてるんだよね。

年末年始は、箱根駅伝見てました。
昔みたいに寄席に行きたいなあ。
初席って、混むんですよね。
アタシみたいに、普段行かない人間が寄席に行くから。

昭和59年頃だったかしらん?
池袋演芸場の初席の中に上がった古今亭志ん馬師匠が開口一番のたまった

「いっぱいのお運びで…アタシがこの池袋演芸場で、これだけのお客様を見たのは戦後通じて初めてではないかと思いますが…」
そんなマクラが爆笑を呼んだっけ。

…そのくらい寄席には人が来なかった。

確か、初席のトリが蝶花楼馬楽師匠の「品川心中」じゃなかったかな?
まあ、それはともかく、
いっぱいの入りになると、確か寄席では「お膝送りを願います」って言うんです。

いい言い方ですやね。

「混んでますので詰めてくださ~い」とか
「ご順に中の方へお入り下さ~い」なんて…

ラッシュの電車じゃあるめえし。
そんな無粋な言い方はしない。

「お膝送りを願います」

いかにも思いやりながら詰めているって様子がするじゃないですか?

今度、電車の座席なんかもそういったら面白いのにね。
車掌のアナウンスでさ、
「いっぱいのお運び、ありがとうございます。ただ今、車内混んでまいりました。お座席、お膝送りを願います。」
なんてね。

無理かなあ~。

おっと、演芸の話ですよね。
カミさんの実家が大田区にあった頃、
談志一門の会が下丸子でやってたもんだから、よく行きましたよ。
何年前だったかなあ?

開口一番、前座が立川国志舘とかいって(記憶薄いな)国士舘大學の出身の子で、マジック・ナポレオンズ、まだポール牧さんがご存命で、あのラッキー7の懐かしいコントを毒蝮三太夫とやってました。
その後、逸見正孝アナが亡くなった翌年の事で、談志家元と毒蝮サンと牧さんの3人で逸見サンの話をしてたな。

あまりいい話じゃなかったけど。

立川流では談志家元の他に、今をときめく?志らく師匠が一席やってたなあ。
新作じゃなかったけど、志らくさんは噺の仕掛けどころが違うんだよな。
畳み掛けるテンポも初めてだったなあ。
会場は大爆笑だった。

トリの談志師匠は何の噺か忘れたが、出来が悪かったらしく、
高座が終わった後、わざわざ半分下りた幕を上げさせて、
「今日は出来がよくなくて悪かったな…」
と、しきりに謝っていた記憶があります。

そんなダラダラした記憶を辿った1月最初のブログです。

今年もよろしく…。

2008/01/13 22:09 | Comments(0) | TrackBack(0) | 想いゴト
寄席の記憶その2(池袋演芸場)
池袋演芸場は昔、通ってた寄席のひとつです。
改装前は、古いビルの2階にあり、
場内の後ろの方が椅子席。
前の方が畳敷になっていたと記憶しています。
当然ながら?いつもガラガラ。

それでも正月の初席には混んでまして、
登場する噺家さんも、漫才の人も、
出てきて言う話題は同じ(笑)
「いや~、いっぱいのお運びで、何があったのかと思った」とか、
「こちらの寄席が出来て以来の人の入りで…」
中でも亡くなった古今亭志ん馬師匠なんか
(昔、お昼のワイドショーに出ていた人…2代目の意地悪ばあさん役だった人…もっとわかんないか)
「昔、寄席でお客様が混んでくると『お膝送りをお願いします』と言ったもんございますが、本日この池袋演芸場で『お膝送りを…』と言う言葉を聞きましたのは、ワタクシが落語家になってから初めてではないかと思います(アリエネ~!)」とマクラに振ってましたよ。
そのくらい人が入らなかった池袋演芸場ですが、

今はどうなんでしょ?

でも、アタシはこの寄席でいい思いをしています。
ひとつはもう聞きたくても聞けない古今亭志ん朝師匠の高座を生で観たのが、この池袋演芸場。
たまたま、当初予定のトリが圓蔵師匠だったのが交代になったものです。
演目は「幾代餅」いや~その迫力たるや、本当に涙が出るほど笑った記憶があります。

久し振りに覗いたら、ずいぶん立派な外見になって…
入場料も2500円に上がってました。

9月の11~20日は昼席のトリが三遊亭金馬、夜席のトリが古今亭志ん五のベテラン。
一度行かれて見る事をお薦めします。

2007/09/09 00:00 | Comments(0) | TrackBack(0) | 想いゴト
地方まわりの芸人達の思い出(ボン・サイト他)
昔、アタシの家族は大晦日を温泉旅館で過ごしていた。
我が家は北海道の札幌で、父方の田舎が定山渓という温泉場にあったからだ。
昔は豊平駅から定山渓鉄道に乗って行ってたが、その後この鉄道がなくなると、後を継いだ「じょうてつバス」に乗って定山渓温泉に行ったのである。
正月を迎えるのは家族だけのこともあったけど、賑やかな事の好きな親戚連中も加えた大所帯で移動することもあった。
「定山渓ホテル」であったり「鹿の湯」であったり、「章月グランド」であったり…。
子ども心にも、大晦日は大イベントで楽しかった。
何よりも、夜更かしができたナ。

…えーと、アタシは普通に昔話をしたいわけじゃありません。
昔話は別の機会に別の場所でしたいと思います。

このブログに沿った話をすると、
こういう温泉場には、必ず地方周りの芸人さんが来ていたのね。
今で言うとスーパー銭湯のショーみたいなモン。
今では絶滅した感のある「ヘルスセンター」にも来てたっけね。
名前の知れた落語家のような芸人さんが一人、あとは手品師、色物芸人、音曲漫才…。
大宴会場で、ビールを飲んだり飯を食べている人達を前にして、合間にフィリピンやタヒチアン・ダンスのショーを見せて、邪魔にならない芸を見せていた。というか、タヒチアンショーの合間に演芸を見せていたと言った方がいいかな?
手品師たって美女が宙に浮くみたいなものを見せてくれるわけじゃない。
お客さんを舞台に上げて自分の手を後手にきつくひもでしばってもらい、そこからえいっと手を抜いてみせるというものや、箱の中からハトやボールを出したりするだけの、文字通り奇術、手品としか言いようの無い芸です。
そう、ゼンジー北京さんみたいな芸。

それとか正月になると太神楽があったな。
西洋風に言うとジャグリングね。
唐傘と鞠の芸。
地味に感心していた。

漫才は…売れてない芸人ってやっぱり受けない。本当に笑いが出ない。
芸だけ見れば別にそんなに悪いものではないのに、である。
アタシが見ていたその漫才師さんは染千代、染団子という女性2人組の三味線漫才。お名前の通りで染千代=美人、ツッコミ、染団子=不美人、ボケという役回り。もう40年くらい前なので、亭号も忘れてしまって、探そうとしても見つからないんだなこれが。

当時の芸人でおぼえていたのはトロンボーン漫談のボン・サイトさんくらい。このときはボーン時田と言っていた気がするが、この辺りの記憶は薄いね。ただこの時彼のやった芸は覚えていて、両手を離して口の上にトロンボーンを乗せたまま曲を吹きながら、空いた両手で楽器の脇についた糸?をスルスル引くと万国旗が揚がるというもの。

この人が会場で一番受けてましたっけ。

その後ン十年が過ぎてから、寄席で見る事ができたのは、このボンサイトさんだけでした。

演芸って厳しいやね。

当時のアタシは世の中テレビやラジオに出るような芸人しかいないと思ってたもんな。
地味に地方で余興みたいな営業している芸人がいるってのを初めて知った小学校中学年のことだった。

2007/08/08 14:22 | Comments(0) | TrackBack(0) | 想いゴト

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