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2024/03/19 11:25 |
ちょうど時間となりました♪
「ちょうど時間となりました~♪」
とくれば、これは浪曲の決まり文句。
結構、これが物語の山場といったいいところで入ってくるんだね。
知ってる人は知っている。
これは浪曲の終わる合図みたいなのです。

これをギャグにしたのが、さがみ三太・良太の2人組です。
前にも書いた事なかったかな?

三太さんが一節歌って曲師の良太さんが「はっ!」と三味線を入れると、
「ちょうど時間となりました~♪」とやって
「まだだよ~」と突っ込まれる。
三太さんは16歳のときに相模太郎の内弟子となって21歳のときに独立。
相模五郎の名前で浪曲漫談でデビューしました。
昭和36年といいますから、ずいぶん前の話になりますな。
良太さんは三太の1年半後に相模太郎の元に三味線弾きとして出入りするようになった。
『その後、「南良雄」の名で浅草のストリップ劇場で修行し、じん弘と萩本欽一と共にトリオ漫才「スリーポイント」を結成。4カ月で萩本欽一が抜け、残った2人でコントコンビとして活動。』とありますから、紆余曲折があった後、16年ぶりに良太は三太と出会い、1974年(昭和49年)にコンビを結成しました。

浪曲漫才コンビの誕生です。
昭和51年度には第5回 放送演芸大賞の最優秀ホープ賞を受賞しました。
この頃の2人の舞台を聴いた事があります。

「一年生の物語」だったと思うんだけど、
良太に押されて無理やりに創作で浪曲をうなる三太。
その他にも、「次郎長伝」をうなっているうちに「灰神楽の三太郎」になってしまうネタとか、いつの間にか「四谷怪談」のお岩のせりふになったり…といった場面など。
爆笑した事を覚えています。
ただ、もっと浪曲の節回しをいっぱい使えばいいのにと思ったなあ。
何と言っても、浪曲師と三味線は息が合っているから、
安心して聴ける。

そう思っているうちに
さがみ三太、良太のコンビは
残念ながら2003年に解散したわけですが、

今は、三太さんはピンで。
良太さんは、娘さんと漫才をやっているみたいです。

ちょうど時間となりました~♪
お粗末ぅ~でした~ぁ。
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2009/02/18 16:38 | Comments(0) | TrackBack() | 音曲
♪謎かけ問答で解くならば~♪
えー、今日び、ボーイズと言われる芸人は、
東京では数えるほどしかございません。

・玉川カルテット(毎度皆様おなじ~みの~)
・灘康次とモダンカンカン(地球の上に朝~が来る~)
・バラクーダ(酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞ~)
そして東京ボーイズである。
…と、仲八郎さんが言っていた。

実は、他に
アンクルベイビーというグループもあるそうです。

♪天気がよければ晴れだろう!天気が悪けりゃ雨だろう!
雨が降ろうと、風力吹こうと東京ボーイズほがらかに~ !

東京ボーイズは、永六輔さんと組んで、コーラスを披露したりもしていました。
(渋谷ジャンジャンにて、制作/内海好江・作&演出/永六輔・音楽指導/小泉源兵衛で、コミックコーラス「五六八雑唱団」始まる。ボーイズバラエティ協会プロフィールより)

五六八雑唱団を企画した故内海好江師匠に、コーラスが出来ないと泣き付いたら物凄く叱られたと舞台で語っていた記憶があります。

さて、東京ボーイズの芸と言えば、「謎かけ小唄」です。

こんな感じ



♪SMAPという歌手を 謎かけ問答で解くならば 評判のいい旅館と解きまする 仲居(中居)がしっかりしています♪

♪氷川きよしという歌手を 謎かけ問答で解くならば 高いメロンと解きまする 甘いマスク(マスクメロン)が売れてます♪

♪北島三郎という歌手を 謎かけ問答で解くならば ギャンブルぜったい負けません トントントン トントントン♪

♪天童よしみという歌手を 謎かけ問答で解くならば 神の教えと解きまする 神は2物を与えない♪



これ、今年8月、飛行機の中で聞きました。
仲八郎さんの漫談というスタイルでした。

旭五郎さんが亡くなったのが、今年2007年10月だから、
この芸も見られなくなるのかね。
ボーイズという芸が段々少なくなってくるな…


2007/10/20 15:34 | Comments(2) | TrackBack() | 音曲
金もいらなきゃ女も要らぬ~(玉川カルテット)


「毎度皆様おなじみの~」のところで宮川左近ショーのことを話しましたが、関東エリア(ただし北海道)出身のアタシには宮川左近ショーより玉川カルテットの方がより身近な芸人さんでした。

結成は1965年というから昭和40年。以来40年以上の長きに渡り同じ芸をやり続け、笑いを取っている。
アタシが小学生か中学生で見ていた頃から、メンバーは若干変わっていても、ギャグは全然変わってないものね。
一番有名なのが題名にした
「金も要らなきゃ女もいらぬ、わたしゃ、も少し背が欲しい~」である。もちろん、二葉しげるさんの至芸である。
その後、リーダーあたりに「少しは違う事やりなよ」と言われて、
「どうせやるならデカイ事しよう、奈良の大仏屁でとばせ」とやって頭をスコ~ンと叩かれる。
あ~、目に浮かぶ(笑)
それから、メガネ(レンズが入ってない)をかけた三味線担当の松木ポン太さんの女形のセリフ「…女って、いつだって(いつの世も?)男のために悩むのね(なぜかこの後アハハハハハハ…と笑って叩かれる)」とか、
ギターの松浦武夫さんの大きな声と大きな口(これは芸じゃないか…。でも歌は上手だった。民謡風のコブシのまわった歌声だったような覚えがある)とか…。今で言うとキャラが立った芸風でした。「でした」と言うのも失礼か。

考えようによってはマンネリ芸である。

でも、この「同じ芸で40年も笑いを取り続ける」と言う事がどれほど大変か、最近の「エンタの神様」のネタ芸人を目に浮かべれば、すぐわかるでしょ?

いわゆる「一発屋」は「マンネリ芸」になり損ねた人たちの事。
これに関しては昔からの芸人の方が図太い、逞しい。
「なんでだろう~」も「ゲッツ!」もあと10年やり続ければ、この境地に至るのか…保証はできませんが。
あ、「チャラチャチャッチャラ~ラ~♪」ってのも2年以内には同じ運命です。

玉川カルテットは、おなじみのウィキペディアによれば、
玉川勝太郎(2代目)の弟子だった玉川ゆたか(故人)と天津羽衣門下の松木ぽん太(三味線)二葉百合子の弟子二葉しげる、ギターの松浦武夫(病気で脱退)で固定メンバーになりました。アタシが見ていた全盛期はこのメンバーです。
このバランスが抜群によかった。ボ~イズ部門の各賞を長らく総なめにしていました。確かこれを破ったのが「日本全国酒飲み音頭」のバラクーダだと思ったけど記憶が薄い。ゴメンナサイ。

その後、リーダーの玉川ゆたかさんが死んでマネージャー兼運転手だった(ホント?)玉川平助さんが新リーダーとして加入-「リーダーとして加入」と言うのも凄いね。
さらに松浦さんが病気で脱退したあとは仲俊二(元ギターの流し)が加入して現在も同じ芸風で続けている。


凄い。

落語は縁者が変わっても同じ作品が別な味わいになって継承されていく。
玉川カルテットは、確かにギャグの担い手は変わっていないけれど、メンバーが入れ替わって芸風が変わって当たり前なのに、
今日もまた「同じ芸」を観客に見せ続けているのです。
「わたしゃも少し背が欲しい~!」ってね。

そう、アタシも青春時代思ったもんです。
「金も欲しいし女も欲しい。そしてできれば背も欲しい~」
バカ者~!!

2007/09/01 09:04 | Comments(0) | TrackBack() | 音曲
毎度~皆様おなじみの~♪(宮川左近ショー)
「毎度皆様おなじみの…」って言うのは、浪曲(浪花節)のイントロなんだけど(イントロってのもどうだろ…「歌いだし」だよね)
ただ、アタシはこの歌いだし、浪曲ではあまり聞いた事はない。
このフレースで始まる演芸で覚えているのは、
「宮川左近ショー」「玉川カルテット」
この二組の浪曲ショーですな。
ボ~イズ部門と言うと違和感がある。
やっぱり浪曲ショーと言うのが自然。
浪曲師と三味線とギターの取り合わせ。
物凄い和洋折衷なんだけど、これが納豆パスタみたいに合う合う(笑)
いや、和風ハンバーグがいいか。

聴いていたのはもちろん子どもの頃ですよ。
アノ頃は笑ってナンボですもん。

まあ、玉川カルテットは別の機会に書くとして…
今は宮川左近ショーを思い出しながら書いてみましょ。

そんなわけで「宮川左近ショー」です。

左近師匠が死んだ後、解散してから15年になるんですって。
宮川左近(浪曲)、暁輝夫(三味線)、松島明夫(ギター)

調べました。

宮川左近師匠は昭和13年、三代目左近に入門して左近丸となり、昭和25年四代目を襲名。
三味線の暁照夫は12歳で東洋軒雷右衛門に入門、昭和23年に雷坊として初舞台を踏み、昭和29年に暁照夫と改名。
松島一夫は昭和20年に二代目京山小円に入門して小さん、昭22年に松原一夫と改名。
昭和34年、最初四人で宮川左近ショーを結成、ほどなく一名抜け三人のスタイルを確立した。「毎度 皆様 お馴染みの」ではじまるテーマソングは人々に口ずさまれ、浪曲台本などのストーリーに軽妙なやりとりを交えた浪曲ショーで独自の境地をひらいた。
昭和47年には上方漫才大賞を受賞した。
三味線の暁照夫は弟子・光夫とコンビを組み、上方演芸界を代表する音曲漫才師として活躍中。


プロフィールとしてはこんなところ。
当初4人で…というのは、アコーディオンの高島和夫という人がいたからなんだそうです。
後に、グループが忙しくなって体力がついていけなくなったのと、楽器(アコーデイオン)の腕前もそれほそ上手ではなかったらしい。

で、結局3人で活動。上方を代表するお笑いグループになったわけです。
今回初めて知ったのは、暁さんが元々は浪曲師で曲師じゃなかったって事と、松島さんも浪曲出身だったって事かなあ。

芸風は、左近師匠が一生懸命浪曲をやろうとするのに、松島さんがギターを弾きながら割り込んで邪魔したり、暁さんがイヤイヤ文句?をいいながら三味線を弾く。
「まだかいな。はよやりなはれ、こんな古いもんやって、お客さん嫌がってはるやないか?」
ツッコミを入れながら、ポンポンと進むステージ。
途中で入る暁さんの三味線の早弾き。
このときのフレーズ「ああ、なんでこんなに上手いんやろ」は定番のギャグになった。

そんな宮川左近シヨーのネタなんだけど、何しろ、アタシが子どもの頃なんで、音源を持ってない。
テレビで見たのは宮本武蔵だったか、何だったか。
ラジオで最後に聴いたのはNHKの「上方演芸会」で確か「新撰組」をやってたと思いますね。

左近師匠が一節唸るところに「コンコンチキチ、コンチキチ」と合いの手が入って。師匠が「それはナンだ?」と尋ねると「祇園囃子やないか」と言われ、仕方なくそのまま演るが、そのコンチキチ、コンチキチが邪魔でしょうがないと言った、文章にすると全然面白くない(苦笑)。

でも、本当に面白かったんですよ~!と声を大にして叫びたい。

今回、いろいろ調べた中で、宮川左近ショーの笑いは「困りの笑い」だと書いてあった方がいまして、ウンウンとうなずいてしまいました。
「困りの笑い」てのはあの桂枝雀師匠の理論なんだそうで、「困っている様子も笑いのネタになる」というもの。
さすが「笑いは緊張と緩和」など理論的に笑いを追及した枝雀師匠ならではです。
(うっかりそのサイトのページを閉じてしまって、誰のサイトだったかわからなくなったのが残念!上手いこと書いてあったんですよね。)

そう言えば左近師匠のお弟子さんは、あの「大助・花子」の宮川大助さん。
そう言えば、昔は大助さんも舞台で一曲(確か「花と龍」)歌ってたのをラジオで聴いたけど…あまり上手じゃなかったなあ。

おっと、丁度時間となりました~♪

2007/07/28 08:50 | Comments(3) | TrackBack() | 音曲

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