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2024/04/18 21:28 |
圓楽を継ぐ
世間はオリンピックですな。

北京で今日、開会式が行われます。
日本選手、どこまでやりますかね。

さて、そういう世間の話題とは別に、
今日、このブログ的にはデカいニュースが飛び込んでまいりました。

「落語家の三遊亭楽太郎さん(58)が、師匠の五代目三遊亭円楽さん(75)の名を継ぎ、六代目円楽を襲名することが8日、分かった。」

襲名披露は2010年の予定との事です。

まあ、圓楽さんが脳梗塞で倒れ、
ガンになって、うまく話せなくなったと
仙台の文楽師匠みたいに高座を離れてしまってから、
いつかこの日が来るとは、
誰もが思ってたことじゃないですかね。

三遊亭圓楽という人

まあ、弟弟子に当たる三遊亭圓丈師匠の著書「御乱心」を読むまでもなく、
文字通りに毀誉褒貶相半ばする」 人でした。

しかしながら、昭和の名人であることには変わりございません。

アタシが、社会人になったばかりの頃は、
上野鈴本では31日(あまり一日とか言うんでしたっけ?)
圓楽師匠の独演会をやっていたと記憶してます。

会社の女の子が、あるとき、飲み会の席で、
「一度、○○さん(本名)と鈴本演芸場で三遊亭圓楽さんの落語を聴きにいきたいわ」
なんていわれたもんです。

オタク(そんなことばもなかったが)
寄席通いをしていたアタシは、演芸に詳しいと思われていたんでしょうかね。
当時、師匠の噺で一番人気があったのは
「薮入り」でした。
先代の金馬師匠の十八番ね。
父親が帰ってきた息子を前にして、どれだけ心配していたかを滔々と語るくだりで、
この人は本当に涙を流しながら口演るんですな。

何でも自分の子供時代を思い出されるんだそうで。
名演です。
ですが、アタシ自身は、同じ親子の情愛を語ったものなら
浜野矩随」の方がいいと勝手に思ってます。
とにかく、滑稽噺も人情噺も見事に語ったこの人は、名人です。
その名跡を継ぐわけです。
元弟子の伊集院光さんの語るところでは、
楽太郎師匠は
「オレは名人にはなれない器だ。だから達人を目指すんだとおっしゃていたそうです。
昭和の名人の名を継いで、平成の達人になってもらいたいもんです。
しかも、ニュースによれば、
「円楽さんは、先月末、楽太郎さんを自宅に呼び、六代目継承を言い渡した。「腎臓の人工透析や度重なるがんの手術で体が弱った。落語家としては寿命。今後、芸が伸びることを望む楽太郎に後を託す」という。円楽さん自身は、落語界から完全に身を引く。 楽太郎さんは「師匠の名に恥じぬよう、修業に努めたい」と抱負を語った。」
って言うんだから、

この世界は奥が深いですな。

ああ、冒頭でどうして、中国の話をふったかというとですね、

圓楽師匠の師匠になる圓生師匠の死んだ日がパンダのカンカンが死んだ日だったからです。

あまり、いいオチじゃなかったね。





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2008/08/08 21:05 | Comments(0) | TrackBack() | 落語

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