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2024/03/30 00:43 |
わっかるかな~?わっかんねーだろうな~。
昔、松鶴家千とせという芸人がいた。
わっかるかな~?
わっかんねーだろうな~。
絵に描いたような一発芸の人である。
て、いうか昭和の一発芸の代表みたいな人である、と言うのは言いすぎかしらん?

松鶴家の名前が示すとおり、
この人は松鶴家千代菊千代若師匠のお弟子であります。
「早く終わって帰ろうヨ」というギャグを残したコンビです。
その弟子だったわけなんで最初は漫才だったと記憶してますが、
やっぱり彼が売れたのは…シャバダバ~ウィ~で始まる漫談
「ヘヘェ~イ、シャバダバダ、俺が昔、夕焼けだった頃、弟は小焼けだった。父さんは胸やけで、母さん霜やけだった…わっかるかな~、わっかんねーだろうなぁ」とやって大ウケをとった。

世の中何がヒットするかわからない。
本当にヒットした。

どこに行っても、
彼が指を鳴らし
「夕焼けぇ、小焼けぇでぇ、陽がくれて~」とやると、それだけで会場の観客が大笑いしたものだ。

ただ、当時学生だった自分は全くこの人の漫談に笑えなかった。

公式プロフィールを見つけたので、自分の記憶を辿りながら調べてみた。

『昭和28年、歌手を志し福島県から上京。松鶴家千代若・千代菊へ入門。
 同時期、歌謡教室に通うかたわら、理容師の免許取得、そして、漫才・司会等、幅広く活躍した後、昭和42年千とせ流家元三代目・『松鶴家千とせ』を襲名。  
漫談という芸に自分の生きる道を見つけ、漫談の中に童謡を取り入れる。しかも、ジャズのフィーリングタッチで千とせ独自の「メルヘンの世界」を築き上げ、ファンの年齢層を広げると共に、『わかるかなぁ・わかんねぇだろうなぁ』の流行語を生みだし、爆発的な人気を得て、テレビ・映画・ドラマ・レコード・(歌手)・雑誌・CM・寄席等とマルチに活躍。
    昭和51年 第5回放送演芸大賞 漫談部門 受賞
    昭和51年 ビクター音楽産業株式会社よりヒット賞 受賞
    昭和59年 第8回パロディ展特別部門賞 優秀賞受賞
 お笑いスター誕生で、華々しく迎え、大衆芸能界では、常に新しいものを提供している貴重な人物であり、アメリカ諸国等海外進出し、まさに、吟遊詩人であり、日本を代表するエンターティナーである。』

現在の彼を考える時、どうかなと思うのはアタシだけじゃないだろう。
彼が50年代に売れまくったのは認める。
でも常に当たらしもの提供する貴重な人物とまで言えるのかちょっとわかんない。
その理由は、今彼は売れてないからである。
そして、それで十分、これは誇大広告である。

当時談志さんか「あんなもんはもたねえ」と言って自分の高座で「シャバダバ~」なんてやってたけどあれは談志流の批評だったのかね?

おそらく漫談に童謡を取り入れたと言うのは「夕焼けぇ、小焼けでぇ♪」とやった事をいってるんだろうし、
ジャスのフィーリングタッチとは指を鳴らしながら「イェ~イ、シャバダバ~とスキャットを挟んで『俺が昔、夕焼けだった頃…』と語ったのがメルヘンタッチというヤツだろう。
当時からアタシは笑ってなかったので、
アタシの頭の中では、完全に「あの人は今」状態だった。
今年で芸歴55年、今月は浅草東洋館に出演している千とせ師匠。

憶えているのは、「わっかるかな~」がひとやま越えて落ち着いていた頃、ジャズではなく南方の音楽みたいなノリで「ハイジャマージャ~」とやってハイジャというタイ人の若者の話をかけていたのを聴いたのが最後になって今まで来ている。
そこでも「ハイジャは敗者(ハイジャ)復活戦に登場した」というギャグを使って、無理やり笑いを取っていたけど、
正直アタシにはおもしろくなかった。
そして今も毎日お忙しい千とせ師匠。

この人の素晴らしいところは「芸はマンネリ」と達観しているところ
割り切って同じ芸をやり続けることの素晴らしさ。
この粘り強さは見習っておかないと。





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2007/12/09 02:18 | Comments(0) | TrackBack() | 漫才

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