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2017/11/24 18:30 |
ふじ ゆきえはなこのオペラ漫才がなつかしい
最近、オペラ漫才ってありますよね。
島田夫妻っていうコンビです。
一度テレビで観ましたが、
さすがモノホン?(音楽大学出身)の雰囲気を漂わせアリアを歌うように掛け合いを行う。
そう言えば、
「かつみ・さゆり」のさゆりさんも音大出の人じゃなかったっけ?

ま、それはそれとして

アタシがオペラ漫才で思い出すのが
「ふじ ゆきえはなこ」の女性コンビです。

覚えていらっしゃいますかね?

上京当時、よく寄席に出てらして

最近引退されたのを知って淋しく思ったもんです。
こんな掴みがありました。
登場早々に、はなこ師匠が

「いや~失敗したね~」

「何が?」

「こうやってお腹をたたいて人気出るんだったら、アタシもやっとけばよかった」

「おやめなさいよ!」(場内爆笑)

あきらかに当時大人気だった「いくよくるよ」に引っ掛けた掴みなのですが、
別にはなこ師匠は大柄だったがお腹が出ているわけでもなく、
どんなものでも笑いに持っていく上方流のお笑いではなかったので、
お腹叩いても無理だったでしょうね。

このお二人が演る「オペラ漫才」
東京らしいしゃべくりにゆきえ師匠のソプラノとはなこ師匠のアルト?
お二人とも美声でした。
だから逆に当時はやりの歌謡漫才はできなかったんでしょうかね?

このお二人のネタで「蝶々夫人」を使ったものが一番好きでした。

とくにピンカートンを見送る蝶々夫人が、
なぜか八代亜紀の「舟歌」を歌うところ
蝶々夫人役?のゆきえ師匠が
「お酒はぬるめの~燗がいい~♪肴はあぶった~蛸がいい~♪」とやって
そこにはなこ師匠が「イカだよイカ!」と突っ込むところだけ、
物凄くはっきり覚えてるんですよね。

昔から歌を歌って話を進めるのは漫才にはよくある演じ方ですが、
オペラを使ったのは、このお二人が最初じゃなかったかな?

大好きでした。
大好きなのに、このくらいしか語れないのが淋しくもあります。
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2007/11/24 11:45 | Comments(2) | TrackBack(0) | 漫才
てんやわんやという気品ある芸

突然ですが、
「家族そろって歌合戦」って番組をご存知でしょうか?

「おじいちゃん、は~いは~い、おばあちゃん、は~いは~い。
お父さんもお母さんも、みんな一緒に、
ドレミファソラシド、ドドレミファソラシド~♪
さ^あさ~あ、寄っといで、家族そ~ろ~って、歌合戦~♪」

こんなオープニングで始まったTBS系の番組。
視聴者参加型のはしりですな。

「アタシの方からウサギさんチームどうぞ!」
「こちらの方からゾウさんチームどうぞ」
ついでに
「ここでスポンサーからのお知らせを~どうぞ!」

アタシは子どもの頃、この番組の公開録音を見に行った事があります。
生はいいですね。
放送で流せないところに一番面白いことがあると知ったのがその時でした。
北海道には寄席がありませんでしたので、
収録の合間に、司会のてんやわんやさんが話すちょっとしたやりとりが面白かったなあ。

この獅子てんや瀬戸わんや、
ご存知でしょうが、獅子文六さんの「てんやわんや」という小説からとったものです。

「ぴ・ぴ・ぴーよこちゃんじゃ、あひるじゃがぁがぁ」
「いーとこはーとこ、いとはとこ」
これはたぶんレコードにもなったフレーズだと思いますが、
個人的に大好きだったのは、

「なんで行ったの?」という作品。

わんやさんが岡山のおばあちゃんの米寿の祝いに行った話をキッカケに、
てんやさんが「何で(HOW=どうやって)行ったの?」と聞くのを、
わんやさんが「何で(WHY=どういう理由で)行ったの?」と聞き違えて、平行線の勘違いが繰り広げられる噺。

昔、腹を抱えて笑いましたよ。

てんやわんやさんの芸は嫌味や毒がなかったですね。
わんやさんの身体的特徴(ハゲ・チビ)をターゲットにしたギャグや笑いもあったんだけど、
不思議と不愉快なものが残らなかった。

お2人の人柄だったんでしょうかね。
昔の東京漫才には毒はなかった。
客から笑いを「取って」やるといった強引なものはありませんでした。
劣等感のでもなく、下ネタでもなく…
あの気品は、今のどの漫才コンビにもないものです。

…時代だったんでしょうかね?

2007/10/15 01:26 | Comments(3) | TrackBack(0) | 漫才
「うちら陽気なかしまし娘~♪」
「うちら陽気なかしまし娘、誰が言ったか知らないが、女3人寄ったら『かしましい』とは愉快だね…ベリー・グ・グー、ベリー・グ・グー、お笑い、おしゃべり、ミュージック~、あかるく歌ってナイトアンドデイ、ピーチク、パーチク、かしましぃ~♪」

はっきり言って「うちら陽気な~かしましいとは愉快だね」から後は覚えてませんでした。

こんな調子で始まる3人漫才と言えばご存知「かしまし娘」
正司歌江、照枝、花江の3人姉妹で歌江(三味線)照枝(ギター)花江(ギター)3人の音曲漫才は当時(昭和30年代)でも珍しかったらしい。60年代には一世を風靡した漫才グループ。
最近、ネットで調べてわかっただけど、ベリーグ・グー(very good good)とかナイトアンドデイ(night and day)なんてモダンな歌詞を使ってたんですね。
歌江さんは、後に出家し尼さんになりました。現在は女優として活躍中です。照枝さんは、今なら磯野貴理の姑として知られている方。

小唄や歌謡曲を順番に歌いながら途中にマシンガンのようにギャグを散りばめてボケと突っ込みの境界もわからなくなるような怒涛の高座(ステージ?)だった記憶があります。
基本的には姉の歌江さんが突っ込みと進行。照枝が暴れる感じのボケ、花江もボケだが若いから3人の中では美人キャラでいじられ役。妹2人がボケまくり姉がそれを懸命に抑えていく感じじゃなかったかなあ…。
歌江-小唄、照枝-お客をいじりながら歌謡曲、次に花江が歌おうと口をあけるとまた歌江に順番が回り「歌江ねえちゃん!うちかて歌いたいワ!」とむくれると、次女の照枝がそれに突っ込むといった具合。
また「花江ちゃんは森光子タイプ、ワタシ(歌江)は新珠三千代タイプ…」(照枝が)「そしたら、アタシは?」(歌江)「そうやなあ、姉の欲目で…嵐勘寿郎タイプ」(照枝)「アタシは男か!」そうかと思えば、ウエスタンの題材の漫才で、打ち合いのシーン照枝がギターを銃にみたてて、姉(歌江)に向けると「ババババ(銃声)オババ・オババ。オババ!」とやって見せたりアクションもやった。

彼女達の全盛期は多分アタシの子ども時代だが、何をやっても可笑しかった。いつまでも続いて欲しいと思って聞いてた。
でも終わっちゃうんだよね…
最高潮でスパッと切ってエンディングに入るのがもう堪らなかった。
「これでおしまいかしまし娘♪またの会う日を楽しみに…それでは皆様…ご機嫌よう~♪」と下げる。

彼女達は上方演芸大賞を受賞した松竹芸能の看板芸人だったわけだけど、実は3人とも上方生まれじゃない。
歌江さんは歌志内、照枝さんは小樽、花江さんは秋田と全員が東北北海道の出身。(旅回りのせいです)
そう思えば、あの漫才にはあまりコテコテの関西臭さがなかったような気もしますね。

彼女達と競うようにフラワーショー(「ようこそ~みなさん~、ご機嫌よろしゅ~♪うた~って、わら~ってフラワーショー♪」)やちゃっきり娘
(「はぁ~、ちゃっきりちゃっきりちゃっきりな、ちゃっきり娘が!とびだ~し~た~♪」ってオープニング)も登場したけど、かしまし娘のエネルギーが衰えてるとともに、このジャンルそのものが何となく大人しくなってきたのは残念でしたねえ…

あ~、もうネタがなくなった
「これでおしまい かしまし娘またの会う日を楽しみに それではみなさま!ごーきげーんーよ~♪」

2007/10/05 02:18 | Comments(0) | TrackBack(0) | 漫才
考えると夜も眠れなくなっちゃうんですよ…(三球・照代)
「地下鉄漫才」で名を馳せた…と言ってもいいのかしら?
春日三球・照代の名コンビ

題名は、その「地下鉄漫才」の有名なフレーズで、
三球「ところで地下鉄はいったいどこから入るのでしょうね?」
照代「何が不思議なの?」
三球「あなた、そんな事考えた事ない?」
照代「ありませんよそんな事」
三球「考えると、また寝らんなくなっちゃう。」
ってくだりからとりました。

「寝らんなくなる」のか「夜も眠れない」だったか「眠れなくなっちゃう」だったかが定かではありません。

この2人、もちろん、正真正銘の夫婦漫才です。
アタシの記憶に残る夫婦漫才では蝶々・雄二、敏江・玲児、唄子・啓介といったところが有名。
しかし、今挙げた夫婦コンビ、みんな別れてしまいましたねえ。
仕事と家庭って難しいのかね。
もちろん、別れていないコンビもありますよ。
宮川大助・花子は今でも健在だし最近では「ポヨヨ~ン」のかつみ・さゆりもいい。
昔なつかしいところではあの人生幸朗、生江幸子(「何ぼやいとるんじゃ、このドロ亀!」「母ちゃん、堪忍、ごめんちゃい」ってあのツッコミは凄かったなあ)それから松鶴家千代菊・千代若(「早く終わって帰ろうよ」ってヤツ、知ってるかなあ?)島田洋之介、今喜多代(漫才の内容は忘れてしまったけど、いくよくるよや島田紳介の師匠であります。)

まあ、夫婦漫才はそれくらいにして、この春日三球さん、元々リーガル千太・万吉のお弟子さんで、(千太・万吉がだいたいわかんないだろうな)違う相方と栗友一休・三休の名前で売れていたんだそうな。
しかし、一休さんが電車の事故(三河島事故)で亡くなって、一人になったので、別な女性漫才の照代さんと組んで再出発、そして結婚したんだそうです。

昔のお笑い番組に出ていた頃の三球・照代を観た事がありますが、後年地下鉄漫才で大ブレークした時の普通のしゃべくりスタイルじゃなくて、照代さんがギター、三球さんがウクレレを持って音楽漫才でした。もっとも、内容は売れた頃と同じ内容なんですけどね。
三球・照代でコンビを組んだのが1966年頃、「地下鉄」で売れたのが1978年だという記録がありますから、10年近くはそんなに売れていなかったわけで、継続は力なりというか、何があるかわからないと言うか、全盛期には三球さんが「地下鉄は…」と言うだけで笑いが出るほどでした。

実際、他にもいっぱい「眠れなくなる」ネタがあったはずなのですが、「地下鉄」が強烈で他のことが記憶になくなるくらい「地下鉄漫才」は売れました。

もっとも、実際の東京の地下鉄は銀座線も丸の内線も東西線も地上に出ている場所があるわけで、さらにほとんどの地下鉄が他の私鉄と連絡している現在「地下鉄をどこから入れたか?」という疑問自体が成立しないわけです。いや、三球・照代が売れていた当時だってそうだったわけで、あの漫才が地下鉄のない地方だけではなく東京の観客にも「ウケた」のは、やはりあの飄々として人を食ったような三球さんの芸のなせる業だったと思いますな。

1987年3月、TBSテレビの「新伍のお待ちどうさま」という公開録画に出演中、照代さんが急にクモ膜下出血で倒れ、そのまま51歳で死んでしまってからは一時期若い女性漫才師で前説をやっていた芳賀みちるさんとコンビを組みますが、結局うまくいかなくて解散。やはり聞きなれてしまった三球・照代の味と別なものを出すことはできませんでした。
三球さんは今、巣鴨で「健康肌着の店-春日三球の店」をやりながらピンで漫談をしているそうです。

ところで、三球・照代解散の後にできた都営大江戸線みたいに、
深い所を走っていて他社と連絡のない地下鉄は、やっぱり
「どうやって(車両を)入れたんでしょうね?」と言いたくなりますね。

誰かご存知ない?
考えると眠れなくなっちゃう…。

2007/09/17 03:41 | Comments(5) | TrackBack(0) | 漫才
青火がぱあ~、ボヤがぽお~(中田ダイマル・ラケット)
冒頭のセリフは、「ダイラケ」こと上方漫才の巨匠中田ダイマル・ラケットの代表作『僕は幽霊』の有名なフレーズです。

アタシがテレビやラジオでダイラケ漫才を聴いたのは、もう彼らの晩年になった頃なんだろうが、その芸は現在のお笑いの中でも彼ら以上に笑いを取れるんだろうな…。
ダイマルさんの飄々としたボケに、ラケットさんのツッコミ。
一番覚えていたのが「青火がぱあ~、ボヤがぼお~」と「あ、いっしょやいっしょや」「いい加減にせい」
本当にツボにはまった時の漫才は本当に凄いパワーがあるんですね。
全盛期のときには「3秒に1回笑わせる漫才」といわれたのだそうな。
たぶん保存しているカセットテープの中にも、ダイラケの漫才の入ったものがあるはずだ。

これはNHKラジオでダイラケの漫才を5夜通しで放送した時のもので、
アタシは最晩年までダイラケをテレビラジオで聴いていたな。
彼らは最後まで枯れる事のない現役だったな。

アタシは「エンタツ・アチャコ」を殆ど知らないので、ちゃんと聴いた上方漫才はダイラケが最初だと思う。
それから「いとこい」(夢路いとし喜味こいし)「唄子啓介」(京唄子、鳳啓介)「敏江玲児」(正司敏江・玲児)と続く。
もちろん、「かしまし娘」と「宮川左近ショー」は外せませんがね。

あんなに笑ったダイラケなのに「青火がぱあ~」くらいしか思い出せないのは悔しいね。
漫才芸やその作品は落語と違って、一代芸なんですよね。
落語は昔から代々多くの落語家が磨き上げてきたソフトで、
余分なところを切ったり、解釈を加える事で現代に残していくのだが、
漫才は作家と漫才師の共同作品で、キャラクターに負うところが多いからかな?

演者が死んでしまうと、作品も死んでしまうんですよね。

「ダイラケ」「いとこい」「やすきよ」なんかの作品を物まねやパロディではなく、敬称するシステムがあると面白いのになあ。

「僕は幽霊」なんか弟子の「カウス・ボタン」でやれないのかね?
…無理か。

2007/08/19 20:02 | Comments(1) | TrackBack(0) | 漫才

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