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2024/04/27 01:31 |
えー、私は春風亭柳昇と申しまして…
「わたくしは、春風亭柳昇と申しまして、大きな事を言うようですが、今や春風亭柳昇と言えば、我が国では…(少々間をおいて)、わたし一人でございます…」

必ず、このマクラで噺を始めた柳昇師匠。
「わが国では…」と「…わたしひとりでございます」の間の時間が
今から思えば絶妙だったよね。

亡くなってから6年過ぎたんですよね。
アタシは、「里帰り」と「カラオケ病院」が好きだった。

特に「里帰り」で、嫁ぎ先の姑と上手く行かなくて帰ってきた娘に、父親が諭すように語る場面では何かいみじみしてしまうのは、柳昇師匠の人間がそうさせたのでしょう。

この噺は、実家に帰って意地悪な姑の悪口を言う娘に、父親が粉薬を手渡す。
 これは毒薬だ。これをばれない様に少しずつ食事に入れておけば、そのうちに姑さんは死んでしまうだろう。ただし、それが先にばれたら大変だから、日頃は何でもいう事を聞いて(姑に)優しくするようにと助言したわけです。

それから時間がたって、今度はすっかり明るくなって里帰りした娘に父親が尋ねます。「あの薬(毒薬)はどうした?」
すると娘は言うんです。

父親の言うとおり、(殺意が)ばれないように極力姑のいう事は何でも聞いて仕えていたら、そのうちに姑が自分に対して優しくなった。今では本当の親子のように仲良くなったので、この薬は要らないから返したい。

父親はニッコリ笑って、「これは、実は毒でも何でもない、ただの粉なんだ。」

演じ方によってはクドクも嫌味にもなる内容を、すっと自然に語る柳昇さん。
その一方で、古典落語もできるのに、生涯にわたり新作落語にこだわり続けた一徹の人。
戦争で、手の指をなくしたため古典ではなく新作に絞ったという話もあります。

「わたしは昔兵隊だったから、最近人殺してなくてウズウズしてるんだ」なんてテレビじゃ言えないようなクスグリを言うところもありました。
寄席でこれを聞いてびっくりしたっけ…。

最後には「いるだけで面白い人」という境地にまで至った師匠。
同じ噺を何回聞いてもゲラゲラ笑える柳昇落語。
(まだまだ昇太や白鳥では笑えない)

いや、寄席だけじゃなくて、世の中に「春風亭柳昇」は必要なんだよね。
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2009/08/10 00:04 | Comments(0) | TrackBack() | 落語
立川談志・桂三枝の二人会(その5)~談志家元②
(その4)から続く

調子の悪そうな談志家元
どうやら、このままジョークで行くか?と思ったら、
「1600人も入る会場だと噺って難しいよな」とまたおっしゃる。

そしていきなり

「…あたたあたたあたた…」

「どうしました?」

「(一番くじが)当たった」

「何当たった?」

「でも火事でパァ」

「ああ、そりゃダメだよ、引き換えなんだよ」

「いらねえやい、バッカやろう」

「おう、この前は災難だったなあ…どうしたい?」

…って、これって「富久」の最後の方じゃないか?
それも、ものすごく端折った中身だなあ。
序盤が長かったからこれで終わるか?と一瞬緊張したが、
ここはまた途中で切ってしまい、
「やっぱり単純なのがいい」(と言ったか忘れたが)
そう言っていきなり別な噺をはじめた。
本当にこの人は目が離せない。

「こんちわ」

「おお八っあんかい?どうぞおあがり」

「どうも」

「そころで何かい?何か聞きたいのか?」

…たぶん演目は「やかん」だな…と見当をつける。

実際そうだったんだけど、
序盤の掛け合いがずっと続いて
(地球は丸いのかい?平らに決まってるじゃないか。)

最後のやかんの講釈(矢が飛んできて水沸かしに当たってかーんと鳴った。というヤツ) は、終盤になって、まるでダイジェストのように語りで家元が演じてしまった。

その後、ソデに向かって「今何時?」

「9時10分前です」

「じゃあ、もう少し短いのをやろうか…」と言ってまた数編ジョークを語った。

いいのかな?と思ったがコンディションを考えれば仕方ないのか?

最後には「談志の最後を見たと思って勘弁して下さいね」と言ってたなあ。

実際に最後にならない事をちょっと願いつつ、
帰ってきました。

今日は、じっくり噺を聞かせるというより、
談志という存在を感じてもらうという事。
そんな落語会でしたね。

正直、つまらないと思った客も居たかも知れない。

でも、生で談志を聴いたという事。
それは後になって昔のCDを聴くのとはワケが違う。
家元ももう73歳、
全身落語家
談志落語は談志にしか語れない。
たぶん、志の輔にも志らくにも談幸にも談春にもできない。
それを談志家元も望んでないだろうし。

ただし、今談志を失えば、
立川流の存在意義もなくなる可能性すらある。

まあ、ややこしい事を最後にいいましたが、
アタシは談志を聴いた事に意義を感じた方なんで。

2009/03/05 23:55 | Comments(0) | TrackBack() | 落語
立川談志・桂三枝の二人会(その3)~三枝師匠「メルチュウ一家」
さて、三枝師匠が改めて出てきた。
「ズボラなんですけど」と始めた噺の演目は「メルチュウ一家」

もちろん、これ後から知ったんですよ。
プログラムがあるわけじゃないんだから。

こんな噺です。

妻に先立たれ和歌山の田舎で一人暮らしをしているおじいさんのところに、片道4時間かけて息子が突然やってくるところから始まる。

どうして事前に連絡してこないのだとおじいさんが聞くと、
息子は何回も電話したけど出ないので心配してきたという。
朝の7時から夜中の1時まで1時間おきに電話したのにと息子が言うと、おじいさんは笑ってそれは電話に出られないという。
5時には床から起きて、朝御飯を食べたら外出し、友達と一緒の時間を過ごしている。帰ってくるのは午後6時半くらい。お風呂に入ったら眠くなるので、起こされないよう電話に座布団をかぶせて寝ているという。

…これじゃ、電話に出るわけがない。

すると、息子は携帯電話を持つことを勧める。

息子は、なかなか連絡の取れないおじいさんのために携帯電話を買ってきたのだ。
もちろん、これが本人にとってありがたいかは別。
おじいさん、嫌がって持とうとしない。

息子は必死だ。
携帯電話を嫌がるおじいさんに、機能をいろいろ教える。電話の掛け方、メールの打ち方、絵文字などなど

しかし、おじいさんは断る。

息子はますます懸命に説得する。

おじいさんの友達が携帯電話で話しながら自転車を運転していて崖に気付かずに自転車で大怪我したと言うと、歩いているときは電話に出ないで、後から着信履歴を見て掛ければよいと説明する。

また、別な友達の着メロが花笠音頭だったが、なんとその着メロが葬式の席で読経の最中に突然鳴り始め、大変な事になった話を出して、皆でいるときに携帯の着メロが鳴ったらうるさいから嫌だというと、バイブにすればいいと説明。

…どうして、そんなに携帯がいいんだ?

その説得の最中に、息子の家では家族はバラバラに暮らし、
実はかろうじてメールで会話して家族が成り立っている事がわかる。
それを息子は携帯で一家団欒が保たれていると言う。
そのくせ、自分の娘が送ってきた絵文字だらけのメールを息子は読めないのだ。

「一家団欒って家族がひとつのちゃぶ台をはさんで向き合って会話する事じゃないのか?」と言うおじいさんに、息子は言う。

「メールがあるから家族の団欒があるんです。今日び高校生の娘なんか父親と話をしてくれないですよ。僕も忙しいから、妻は何でもメールで送ってくるんです。我が家はメールで会話するんです。」

一階に奥さんが二階に居る夫に「ご飯です」とメールを送るなんて、
怖いくらいだね。

そんなやりとりの末に、しぶしぶながらおじいさんは携帯電話を持つのを承知する。

後日、おじいさんが初めてメールを送ってみるということで、
家族全員でおじいさんからのメールを待つ。
やっと来たメールは、最初は本文なし。
次に来たメールは変換間違いだらけの文章しか打てず、
おじいさんは疲れてしまう。

しかし、その1ヵ月後、家族はおじいさんから送られる大量のメールで疲れ果ててしまう。
ホームヘルパーのミヨちゃん(27歳)にメールの打ち方を教わったおじいさんは、一日中家族にメールを送るほどのメール中毒になっていた。

何しろ暇なおじいさんはひっきりなしにメールを送り、
返事が遅いとまだかまだかと返事を催促する
息子の携帯にはおじいさんから40回もメールが来た。
高校生の娘にはおじいさんからのメールでメモリがいっぱい。
友人のメールが入る余地もない。
おじいさんに家族皆が悩まされ、しかも携帯代金は息子が払うということになっているので、妻はどうにかしてくれと夫に頼む。

困り果てた家族が、もうメールを解約するしかないということになり、

おじいさんに
「家族皆でメールを解約するから、これからは電話で連絡を取るようにしよう」と最後のメールを送る。

おじいさんからの返信には「やっと気付いたか」と書いてあった。


笑わせて、考えさせて、最後に落としてニヤっとさせる。
我が家にも考えさせられる噺でしたね。

今だとファミリー通話にすれば?とか
パケホーダイにすれば?とか
突っ込みようもあるわけで、
新作と言えども、時間とともに
鮮度を失っていくわけだけど、
後ろに流れる心情が通じているなら
これも立派な落語です。

三枝師匠の挑戦は続きます。

2009/03/05 23:20 | Comments(0) | TrackBack() | 落語
立川談志・桂三枝の二人会(その2)~対談
出囃子が鳴って
三枝師匠が出てきた。
ホール落語とて、舞台に出てから高座までの距離がある。
だから一旦出てきてから手を振ったり一礼して上がってきた三枝師匠。
ヤングおー!おー!(ふるいなあ)に出ていた頃から見ていたアタシとしては、上方落語協会会長になった今の三枝さんが不思議…
いや、これは失礼だね。

でも、もう「オヨヨ」とは言わないだんだろうなあ。

そんな三枝師匠、
一度頭を下げてから、

「ここはせっかくの二人会ですので、談志師匠をお呼びしましょう。」
と談志家元を呼び込む。
三枝師匠、実は談志家元に会ったのが40年前。

ところが家元、中々来ない。
「らしい」と言えば「らしい」感じだが、しばらく時間がかかった。

ようやく、よろよろ出てきた家元、
「朝から何にも食べてない」と言う。
正座もできず、座布団に胡坐をかいた家元、相当調子が悪そうだ。
いきなり三枝師匠
「師匠(談志)は定額給付金を受け取るんですか?」
と言って会場の笑いを取る。


「もらうよ、くれるんならね」

「何か使いたい事なんかあるんですか?」

「ない」

「買いたいものとか」

「ない」

「食べたいものとか」

「何にもない。オレ食えないもの。」

それから、三枝師匠、40年前に一緒に食事した時のエピソードを振る。

当時毒蝮三太夫、柳家かえる(現鈴々舎馬風)らと食事をした時、
すると家元(当時は師匠~笑)が「ハヤシライス」を注文する。
周りも「じゃあオレもハヤシライス」「オレも」と言い出すと
「オレがハヤシライスを頼んだんだから、みんなは別なものを頼んでくれ」と言ったんだそうだ。

「あの時は『何てわがままな人なんだろう』と思ったんだけど、あの時はどうだったんですか?」と聞く三枝さんに振り向いた家元、

「すまん、何も聞いてなかった」
これには三枝師匠絶句、というかコケる。
この辺は関西ノリ。

(談志)家元
「何も食べれないんだ。ビールだけ」
(三枝)師匠
「師匠(三枝師匠は談志家元を『師匠』と言う)、ビールは冷えたのが好きでしょ?」
家元
「うん」
師匠
「それって横山やすしさんと同じですよ」
場内笑い
横山やすし師匠は生前、必ずどこに行っても
「チンチンに冷えたビール出せ」と言っていたそうです。
楽屋にも冷えたビールを置いてあったそうで、
だから酔って舞台をしくじったんだな。

家元も、ビールを冷やしておくんだそうで、
それを「横山やすしさん」となぞらえるのは、
死んだ人には申し訳ないが、死んだ事まで笑いにさせるやすし師匠もスゴイね。

家元、思いのほか素直に
「そうだな、(ビールは)温めて飲んだ方がいいんだよな」

師匠
「温めて飲むんでしょう?」

家元
「カン(燗)ビールと言ってねえ…」
とここでも笑いが起きる。

実は家元、体調がすこぶる悪い。
朝から何も食べてない…というか最近食べられないらしい。
片方の耳も聞こえないと言う。

そこに引っ掛けたのか、今度は三枝さんが死について踏み込む。

「師匠が『もう死ぬよ、もう死ぬよ』と言ってらっしゃったの7年前だったですよね。」と言うと

家元
「死ねないね…ガスでも死なないし睡眠薬でも死ねないし、飛び降りるのも怖くてやだし…」

師匠
「一番いいのは新幹線ですよね。」

家元
「そうだね」

すると三枝師匠が、
「生きてるときに死ぬことを考えても、所詮死なないとわからないんですから、『死んでから考えよう』って、みんな順番のない順番を待って死んで行くんですから、ねえ。」

家元
「己が無くなる事が怖いんだよ。」

師匠
「なるほど」

家元
「理屈だけどな。」

この『己が無くなる事が怖い』という言葉、
響いたなあ。
70過ぎても人間、死を怖がり生に執着するのは
生きてりゃいい、というのもそうだけど、
死んだ結果として自分という存在が無くなってしまうのがいやなんだろうな。

アタシがそうだもの。
さて、そのうち話題は落語に…。

家元
「今、噺やってるとね、(噺の)登場人物がケンカ売りに来ますよ。」

師匠
「ケンカ売りますか?」

家元
「まあね、もう狂ったみたいになっちまうね。」

噺について掘り下げていくうちに、
完全に噺の中に入り込んでしまったのかな?
そんな瞬間がある最近の家元です。

その後
石原知事と食事をした時の話
(相当、キツイ言葉を言い合う間柄らしい。また、こういう事を言い合える関係の友人が知事には居ないんだそうな。)
それから
MXテレビで番組を一緒にやってた野末陳平さんの事も言ってた。
これについては、少し残念な話になるのだが、
ここには書かない。
ただ、人間関係は難しいという事だけだ。


全てを書いたわけじゃない。
全部を覚えてなんかいられないからね。
それにしても、家元の体調は相当悪そうだった。

2009/03/05 23:10 | Comments(0) | TrackBack() | 落語
立川談志・桂三枝の二人会(その1)~談修さんの宮戸川
3月5日の木曜日
アタシの家族で、落語会に行って来ました。

我がホームグラウンド
越谷市サンシティホールで行なわれた、

「立川談志・桂三枝二人会」です。

約1600もいるらしい座席はもう満員。
会場は年配者の占有率が多かったですね。
ブザーが鳴って、
お囃子の太鼓が鳴っても中々席につけないお客様も多数。

そんな中、
まずは、最初の一席
普通なら開口一番は前座さんなんだろうけど、
ここは二つ目の立川談修
※以下は適当に敬称が入ったり入らなかったりしますので、
気にしないで下さいね。

プログラム1.
立川談修
演目『宮戸川』
昔小朝さんや鳳楽さんとか、
いろんな噺家さんで聴いた作品です。
こういう噺で始まるところなんざ、寄席とは違う。
やっぱり落語会ですね。

談修さん、
声が明るくていいですね。
噺の内容は、こんなブログを読むような方には
もうおなじみでしょうが、こんな内容です。

「おとっつぁん、入れて下さいよ。」

小網町に住む半七は将棋に夢中になって帰りが遅くなって
親に家に入れてもらえず締め出しを食う。

「おっかさん、入れて下さい。」
ふと見ると、
偶然、半七と幼馴染のお花の方も、カルタに夢中になって遅くなり、
家から締め出されたとの事、

家に入れてもらえない半七は
仕方なく半七は霊岸島の叔父の家に泊めてもらいに行く。
行き場のないお花もあとから付いてくる。
叔父が飲み込みの久太と言われる早飲み込みで有名な男なので、
半七は連れて行きたくない。

「お花ちゃんは誰か親戚のところに行って下さい」

「だって叔母さんの家は遠いんだもの」

「どこなんです」

「沖の鳥島」…それは確かに遠い。これは談修さんのオリジナルかな?

「港から船出して行って下さいよぅ、1ヶ月もすれば付きますよ。」
それも無理、だいたい付いたところでそこに家があるはずがない。

あ、沖の鳥島って知ってますよね?
日本最南端の島とも呼べないくらいの小さな島ですが、
これが島か岩かで、日本の排他的水域が変わってしまうため、
消波ブロックを設置したりコンクリート護岸工事を施して、
さらにチタン合金の金網を被せて波の浸食から保護している場所です。
現在も中国などはこの地域での日本の排他的経済水域について疑問を呈している。
そんな場所を持ち出すなんて、さすが立川流
絶対放送では使えない(笑い)

半七は薄情な事に江戸時代の街灯もないはずの真夜中、
お花を置いていこうとする。
ところが、お花さんしぶとい。
脚も早い。
この辺は演者によって違います。
「駆けてしまえば女の足だから付いてはこれないだろう…お、お花さ~ん!参ったねこりゃ、そう言えばあの娘は昔から脚が早かったっけ。」

これを『昔かけっこでベンジョンソンにも勝ったっけ』と誰かが演ったのはソウル五輪の時代です。

「泊めてよ。」

「いやですよ。」

とか言ううちに2人は叔父の家に着く。

案の定、早飲み込みをされた2人は二階の布団ひとつしかない部屋に案内されてしまう。
布団ひとつの「ここからこっちはアタシ、そっちはアナタですからね。絶対来ないで下さいね。」
もう…どこまで堅いんだこの人(半七)は。

そのうち、ゴロゴロと雷が鳴ると、怖がり?のお花は境界線を越えて
「半ちゃん怖い」と半七の胸元へ。
お花の着物がはだけ、鬢付けとおしろいの匂いがつんと半七の鼻をつき…半七の手がお花の腰から胸元へ…

一般的には
「ここから先は本が破けて読めなくなっております」と下げるんですが、

談修さんは
「一階で叔父さんがふっと行灯を消したため、本が読めなくなりました」と下げました。
なるほど。
でも、こうやると夢オチみたいに感じられないか?
少し不条理な部分も落語ならでは。

しかし、この日の演出は「沖ノ鳥島」のほかにもけっこう怖いくすぐりや、今風のギャグもあったんですよ。

たとえば霊岸島の叔父さんが、半七の訪問を受ける時、自分の腰が悪くて立てないもんだから隣の奥さんを起こそうとして寝顔を覗き込みながらいうセリフ。

「半分死んでるみたいなもんだなあ。おくりびと呼んでやろうかな
?」

半七について来たお花に女房を紹介するセリフ
「あ?こいつですか?気にしないでください。半分ボケてるんですから、…南田洋子みたいなもんです。」
…怖いセリフだな。
これも放送じゃ使えない。

二階の布団がひとつしかないもんだから、半分づつ使う事を提案し、
部屋の真ん中で自分の帯で半分に仕切った半七。
「いいですか?これが38度線ですからね?」
…朝鮮戦争を知らないと笑えないギャグ。

この辺はさすが、立川流です。

全体的に、そんなくすぐり(ギャグ)を織り交ぜながら、
明るく、色気も爽やかに上手くまとめた談修さん。
一階の年配の叔父夫婦の歳を経た夫婦の軽妙なやりとりと、
二階のお花半七の初々しいやり取りの対比も良かった。

最後の方は疲れた雰囲気もあり、
少しペースというかテンポが落ちた気もするが、
二つ目さんとは思わなかったなあ。

一席終わった後、談修さん羽織りを脱ぐと
「座興ですが、おひとつ踊らさせていただきたいと思います。寄席の踊りです。」
そう言って「奴さん」を踊った。
「おと~も~は~つらいね」ってヤツ。
形のいい踊りだった。
アタシは、踊りには詳しくないので書けませんが(笑)

立川談修
注目です。

この後三枝、談志と続きますが長いので後で。

2009/03/05 23:00 | Comments(0) | TrackBack() | 落語

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