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2024/04/27 03:44 |
立川談志・桂三枝の二人会(その3)~三枝師匠「メルチュウ一家」
さて、三枝師匠が改めて出てきた。
「ズボラなんですけど」と始めた噺の演目は「メルチュウ一家」

もちろん、これ後から知ったんですよ。
プログラムがあるわけじゃないんだから。

こんな噺です。

妻に先立たれ和歌山の田舎で一人暮らしをしているおじいさんのところに、片道4時間かけて息子が突然やってくるところから始まる。

どうして事前に連絡してこないのだとおじいさんが聞くと、
息子は何回も電話したけど出ないので心配してきたという。
朝の7時から夜中の1時まで1時間おきに電話したのにと息子が言うと、おじいさんは笑ってそれは電話に出られないという。
5時には床から起きて、朝御飯を食べたら外出し、友達と一緒の時間を過ごしている。帰ってくるのは午後6時半くらい。お風呂に入ったら眠くなるので、起こされないよう電話に座布団をかぶせて寝ているという。

…これじゃ、電話に出るわけがない。

すると、息子は携帯電話を持つことを勧める。

息子は、なかなか連絡の取れないおじいさんのために携帯電話を買ってきたのだ。
もちろん、これが本人にとってありがたいかは別。
おじいさん、嫌がって持とうとしない。

息子は必死だ。
携帯電話を嫌がるおじいさんに、機能をいろいろ教える。電話の掛け方、メールの打ち方、絵文字などなど

しかし、おじいさんは断る。

息子はますます懸命に説得する。

おじいさんの友達が携帯電話で話しながら自転車を運転していて崖に気付かずに自転車で大怪我したと言うと、歩いているときは電話に出ないで、後から着信履歴を見て掛ければよいと説明する。

また、別な友達の着メロが花笠音頭だったが、なんとその着メロが葬式の席で読経の最中に突然鳴り始め、大変な事になった話を出して、皆でいるときに携帯の着メロが鳴ったらうるさいから嫌だというと、バイブにすればいいと説明。

…どうして、そんなに携帯がいいんだ?

その説得の最中に、息子の家では家族はバラバラに暮らし、
実はかろうじてメールで会話して家族が成り立っている事がわかる。
それを息子は携帯で一家団欒が保たれていると言う。
そのくせ、自分の娘が送ってきた絵文字だらけのメールを息子は読めないのだ。

「一家団欒って家族がひとつのちゃぶ台をはさんで向き合って会話する事じゃないのか?」と言うおじいさんに、息子は言う。

「メールがあるから家族の団欒があるんです。今日び高校生の娘なんか父親と話をしてくれないですよ。僕も忙しいから、妻は何でもメールで送ってくるんです。我が家はメールで会話するんです。」

一階に奥さんが二階に居る夫に「ご飯です」とメールを送るなんて、
怖いくらいだね。

そんなやりとりの末に、しぶしぶながらおじいさんは携帯電話を持つのを承知する。

後日、おじいさんが初めてメールを送ってみるということで、
家族全員でおじいさんからのメールを待つ。
やっと来たメールは、最初は本文なし。
次に来たメールは変換間違いだらけの文章しか打てず、
おじいさんは疲れてしまう。

しかし、その1ヵ月後、家族はおじいさんから送られる大量のメールで疲れ果ててしまう。
ホームヘルパーのミヨちゃん(27歳)にメールの打ち方を教わったおじいさんは、一日中家族にメールを送るほどのメール中毒になっていた。

何しろ暇なおじいさんはひっきりなしにメールを送り、
返事が遅いとまだかまだかと返事を催促する
息子の携帯にはおじいさんから40回もメールが来た。
高校生の娘にはおじいさんからのメールでメモリがいっぱい。
友人のメールが入る余地もない。
おじいさんに家族皆が悩まされ、しかも携帯代金は息子が払うということになっているので、妻はどうにかしてくれと夫に頼む。

困り果てた家族が、もうメールを解約するしかないということになり、

おじいさんに
「家族皆でメールを解約するから、これからは電話で連絡を取るようにしよう」と最後のメールを送る。

おじいさんからの返信には「やっと気付いたか」と書いてあった。


笑わせて、考えさせて、最後に落としてニヤっとさせる。
我が家にも考えさせられる噺でしたね。

今だとファミリー通話にすれば?とか
パケホーダイにすれば?とか
突っ込みようもあるわけで、
新作と言えども、時間とともに
鮮度を失っていくわけだけど、
後ろに流れる心情が通じているなら
これも立派な落語です。

三枝師匠の挑戦は続きます。
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2009/03/05 23:20 | Comments(0) | TrackBack() | 落語
立川談志・桂三枝の二人会(その2)~対談
出囃子が鳴って
三枝師匠が出てきた。
ホール落語とて、舞台に出てから高座までの距離がある。
だから一旦出てきてから手を振ったり一礼して上がってきた三枝師匠。
ヤングおー!おー!(ふるいなあ)に出ていた頃から見ていたアタシとしては、上方落語協会会長になった今の三枝さんが不思議…
いや、これは失礼だね。

でも、もう「オヨヨ」とは言わないだんだろうなあ。

そんな三枝師匠、
一度頭を下げてから、

「ここはせっかくの二人会ですので、談志師匠をお呼びしましょう。」
と談志家元を呼び込む。
三枝師匠、実は談志家元に会ったのが40年前。

ところが家元、中々来ない。
「らしい」と言えば「らしい」感じだが、しばらく時間がかかった。

ようやく、よろよろ出てきた家元、
「朝から何にも食べてない」と言う。
正座もできず、座布団に胡坐をかいた家元、相当調子が悪そうだ。
いきなり三枝師匠
「師匠(談志)は定額給付金を受け取るんですか?」
と言って会場の笑いを取る。


「もらうよ、くれるんならね」

「何か使いたい事なんかあるんですか?」

「ない」

「買いたいものとか」

「ない」

「食べたいものとか」

「何にもない。オレ食えないもの。」

それから、三枝師匠、40年前に一緒に食事した時のエピソードを振る。

当時毒蝮三太夫、柳家かえる(現鈴々舎馬風)らと食事をした時、
すると家元(当時は師匠~笑)が「ハヤシライス」を注文する。
周りも「じゃあオレもハヤシライス」「オレも」と言い出すと
「オレがハヤシライスを頼んだんだから、みんなは別なものを頼んでくれ」と言ったんだそうだ。

「あの時は『何てわがままな人なんだろう』と思ったんだけど、あの時はどうだったんですか?」と聞く三枝さんに振り向いた家元、

「すまん、何も聞いてなかった」
これには三枝師匠絶句、というかコケる。
この辺は関西ノリ。

(談志)家元
「何も食べれないんだ。ビールだけ」
(三枝)師匠
「師匠(三枝師匠は談志家元を『師匠』と言う)、ビールは冷えたのが好きでしょ?」
家元
「うん」
師匠
「それって横山やすしさんと同じですよ」
場内笑い
横山やすし師匠は生前、必ずどこに行っても
「チンチンに冷えたビール出せ」と言っていたそうです。
楽屋にも冷えたビールを置いてあったそうで、
だから酔って舞台をしくじったんだな。

家元も、ビールを冷やしておくんだそうで、
それを「横山やすしさん」となぞらえるのは、
死んだ人には申し訳ないが、死んだ事まで笑いにさせるやすし師匠もスゴイね。

家元、思いのほか素直に
「そうだな、(ビールは)温めて飲んだ方がいいんだよな」

師匠
「温めて飲むんでしょう?」

家元
「カン(燗)ビールと言ってねえ…」
とここでも笑いが起きる。

実は家元、体調がすこぶる悪い。
朝から何も食べてない…というか最近食べられないらしい。
片方の耳も聞こえないと言う。

そこに引っ掛けたのか、今度は三枝さんが死について踏み込む。

「師匠が『もう死ぬよ、もう死ぬよ』と言ってらっしゃったの7年前だったですよね。」と言うと

家元
「死ねないね…ガスでも死なないし睡眠薬でも死ねないし、飛び降りるのも怖くてやだし…」

師匠
「一番いいのは新幹線ですよね。」

家元
「そうだね」

すると三枝師匠が、
「生きてるときに死ぬことを考えても、所詮死なないとわからないんですから、『死んでから考えよう』って、みんな順番のない順番を待って死んで行くんですから、ねえ。」

家元
「己が無くなる事が怖いんだよ。」

師匠
「なるほど」

家元
「理屈だけどな。」

この『己が無くなる事が怖い』という言葉、
響いたなあ。
70過ぎても人間、死を怖がり生に執着するのは
生きてりゃいい、というのもそうだけど、
死んだ結果として自分という存在が無くなってしまうのがいやなんだろうな。

アタシがそうだもの。
さて、そのうち話題は落語に…。

家元
「今、噺やってるとね、(噺の)登場人物がケンカ売りに来ますよ。」

師匠
「ケンカ売りますか?」

家元
「まあね、もう狂ったみたいになっちまうね。」

噺について掘り下げていくうちに、
完全に噺の中に入り込んでしまったのかな?
そんな瞬間がある最近の家元です。

その後
石原知事と食事をした時の話
(相当、キツイ言葉を言い合う間柄らしい。また、こういう事を言い合える関係の友人が知事には居ないんだそうな。)
それから
MXテレビで番組を一緒にやってた野末陳平さんの事も言ってた。
これについては、少し残念な話になるのだが、
ここには書かない。
ただ、人間関係は難しいという事だけだ。


全てを書いたわけじゃない。
全部を覚えてなんかいられないからね。
それにしても、家元の体調は相当悪そうだった。

2009/03/05 23:10 | Comments(0) | TrackBack() | 落語
立川談志・桂三枝の二人会(その1)~談修さんの宮戸川
3月5日の木曜日
アタシの家族で、落語会に行って来ました。

我がホームグラウンド
越谷市サンシティホールで行なわれた、

「立川談志・桂三枝二人会」です。

約1600もいるらしい座席はもう満員。
会場は年配者の占有率が多かったですね。
ブザーが鳴って、
お囃子の太鼓が鳴っても中々席につけないお客様も多数。

そんな中、
まずは、最初の一席
普通なら開口一番は前座さんなんだろうけど、
ここは二つ目の立川談修
※以下は適当に敬称が入ったり入らなかったりしますので、
気にしないで下さいね。

プログラム1.
立川談修
演目『宮戸川』
昔小朝さんや鳳楽さんとか、
いろんな噺家さんで聴いた作品です。
こういう噺で始まるところなんざ、寄席とは違う。
やっぱり落語会ですね。

談修さん、
声が明るくていいですね。
噺の内容は、こんなブログを読むような方には
もうおなじみでしょうが、こんな内容です。

「おとっつぁん、入れて下さいよ。」

小網町に住む半七は将棋に夢中になって帰りが遅くなって
親に家に入れてもらえず締め出しを食う。

「おっかさん、入れて下さい。」
ふと見ると、
偶然、半七と幼馴染のお花の方も、カルタに夢中になって遅くなり、
家から締め出されたとの事、

家に入れてもらえない半七は
仕方なく半七は霊岸島の叔父の家に泊めてもらいに行く。
行き場のないお花もあとから付いてくる。
叔父が飲み込みの久太と言われる早飲み込みで有名な男なので、
半七は連れて行きたくない。

「お花ちゃんは誰か親戚のところに行って下さい」

「だって叔母さんの家は遠いんだもの」

「どこなんです」

「沖の鳥島」…それは確かに遠い。これは談修さんのオリジナルかな?

「港から船出して行って下さいよぅ、1ヶ月もすれば付きますよ。」
それも無理、だいたい付いたところでそこに家があるはずがない。

あ、沖の鳥島って知ってますよね?
日本最南端の島とも呼べないくらいの小さな島ですが、
これが島か岩かで、日本の排他的水域が変わってしまうため、
消波ブロックを設置したりコンクリート護岸工事を施して、
さらにチタン合金の金網を被せて波の浸食から保護している場所です。
現在も中国などはこの地域での日本の排他的経済水域について疑問を呈している。
そんな場所を持ち出すなんて、さすが立川流
絶対放送では使えない(笑い)

半七は薄情な事に江戸時代の街灯もないはずの真夜中、
お花を置いていこうとする。
ところが、お花さんしぶとい。
脚も早い。
この辺は演者によって違います。
「駆けてしまえば女の足だから付いてはこれないだろう…お、お花さ~ん!参ったねこりゃ、そう言えばあの娘は昔から脚が早かったっけ。」

これを『昔かけっこでベンジョンソンにも勝ったっけ』と誰かが演ったのはソウル五輪の時代です。

「泊めてよ。」

「いやですよ。」

とか言ううちに2人は叔父の家に着く。

案の定、早飲み込みをされた2人は二階の布団ひとつしかない部屋に案内されてしまう。
布団ひとつの「ここからこっちはアタシ、そっちはアナタですからね。絶対来ないで下さいね。」
もう…どこまで堅いんだこの人(半七)は。

そのうち、ゴロゴロと雷が鳴ると、怖がり?のお花は境界線を越えて
「半ちゃん怖い」と半七の胸元へ。
お花の着物がはだけ、鬢付けとおしろいの匂いがつんと半七の鼻をつき…半七の手がお花の腰から胸元へ…

一般的には
「ここから先は本が破けて読めなくなっております」と下げるんですが、

談修さんは
「一階で叔父さんがふっと行灯を消したため、本が読めなくなりました」と下げました。
なるほど。
でも、こうやると夢オチみたいに感じられないか?
少し不条理な部分も落語ならでは。

しかし、この日の演出は「沖ノ鳥島」のほかにもけっこう怖いくすぐりや、今風のギャグもあったんですよ。

たとえば霊岸島の叔父さんが、半七の訪問を受ける時、自分の腰が悪くて立てないもんだから隣の奥さんを起こそうとして寝顔を覗き込みながらいうセリフ。

「半分死んでるみたいなもんだなあ。おくりびと呼んでやろうかな
?」

半七について来たお花に女房を紹介するセリフ
「あ?こいつですか?気にしないでください。半分ボケてるんですから、…南田洋子みたいなもんです。」
…怖いセリフだな。
これも放送じゃ使えない。

二階の布団がひとつしかないもんだから、半分づつ使う事を提案し、
部屋の真ん中で自分の帯で半分に仕切った半七。
「いいですか?これが38度線ですからね?」
…朝鮮戦争を知らないと笑えないギャグ。

この辺はさすが、立川流です。

全体的に、そんなくすぐり(ギャグ)を織り交ぜながら、
明るく、色気も爽やかに上手くまとめた談修さん。
一階の年配の叔父夫婦の歳を経た夫婦の軽妙なやりとりと、
二階のお花半七の初々しいやり取りの対比も良かった。

最後の方は疲れた雰囲気もあり、
少しペースというかテンポが落ちた気もするが、
二つ目さんとは思わなかったなあ。

一席終わった後、談修さん羽織りを脱ぐと
「座興ですが、おひとつ踊らさせていただきたいと思います。寄席の踊りです。」
そう言って「奴さん」を踊った。
「おと~も~は~つらいね」ってヤツ。
形のいい踊りだった。
アタシは、踊りには詳しくないので書けませんが(笑)

立川談修
注目です。

この後三枝、談志と続きますが長いので後で。

2009/03/05 23:00 | Comments(0) | TrackBack() | 落語
ちょうど時間となりました♪
「ちょうど時間となりました~♪」
とくれば、これは浪曲の決まり文句。
結構、これが物語の山場といったいいところで入ってくるんだね。
知ってる人は知っている。
これは浪曲の終わる合図みたいなのです。

これをギャグにしたのが、さがみ三太・良太の2人組です。
前にも書いた事なかったかな?

三太さんが一節歌って曲師の良太さんが「はっ!」と三味線を入れると、
「ちょうど時間となりました~♪」とやって
「まだだよ~」と突っ込まれる。
三太さんは16歳のときに相模太郎の内弟子となって21歳のときに独立。
相模五郎の名前で浪曲漫談でデビューしました。
昭和36年といいますから、ずいぶん前の話になりますな。
良太さんは三太の1年半後に相模太郎の元に三味線弾きとして出入りするようになった。
『その後、「南良雄」の名で浅草のストリップ劇場で修行し、じん弘と萩本欽一と共にトリオ漫才「スリーポイント」を結成。4カ月で萩本欽一が抜け、残った2人でコントコンビとして活動。』とありますから、紆余曲折があった後、16年ぶりに良太は三太と出会い、1974年(昭和49年)にコンビを結成しました。

浪曲漫才コンビの誕生です。
昭和51年度には第5回 放送演芸大賞の最優秀ホープ賞を受賞しました。
この頃の2人の舞台を聴いた事があります。

「一年生の物語」だったと思うんだけど、
良太に押されて無理やりに創作で浪曲をうなる三太。
その他にも、「次郎長伝」をうなっているうちに「灰神楽の三太郎」になってしまうネタとか、いつの間にか「四谷怪談」のお岩のせりふになったり…といった場面など。
爆笑した事を覚えています。
ただ、もっと浪曲の節回しをいっぱい使えばいいのにと思ったなあ。
何と言っても、浪曲師と三味線は息が合っているから、
安心して聴ける。

そう思っているうちに
さがみ三太、良太のコンビは
残念ながら2003年に解散したわけですが、

今は、三太さんはピンで。
良太さんは、娘さんと漫才をやっているみたいです。

ちょうど時間となりました~♪
お粗末ぅ~でした~ぁ。

2009/02/18 16:38 | Comments(0) | TrackBack() | 音曲
茶の湯は風流(三遊亭金馬、桂文朝)
根岸の里のわび住い…

落語界で「根岸」と言えば故林家三平さんを指します。
(いずれ、これも「先代の…」という枕詞が付くんだね。時代の流れを感じますワ。)
ま、落語の中で「根岸」とくると、店を跡取りに任せたご隠居さんか、
店の大旦那の妾(愛人)がいるところというのが相場ですな。
今の鶯谷駅のあたりになる根岸は、下町の別荘地帯だったそうです。

妾さんは黒板塀に囲まれた家にばあやと狆(ちん)といっしょに住んでいるが、ご隠居さんは身の回りの世話をする小僧ひとりを付けて住んでいる。
小僧とくればなぜか定吉。
定吉と言えば毎日香…いや、そんな噺ではございません。

えー、息子に身代を譲り、丁稚小僧の定吉を連れて長屋の付いた一軒家に隠居した旦那。
毎日退屈なんでぶらぶらしていたら、
周りが琴やら盆栽やら生花やら風流な方ばかりなので、自分も何か風流なことをやりたくなった。
丁度隠居所には茶道具があったので茶の湯をやろうと決めた。
ところが、茶の湯を習えばいいものを、意地っ張りな隠居さんは「茶の湯を知らない」と言えない。

定吉の前で口からでまかせに「忘れた」と言ったものの、
「どこを忘れましたか?」と問われて困る。
茶碗に何か青い粉(抹茶)を入れてジャブジャブかき混ぜてブクブク泡が出るものとしかわからない。
そこで記憶をたどるふりをして懸命に考える。
わかるわけがない。知らないんだから。

定吉が青黄粉が青いと言えば「そうだった。青黄粉だ」と…おいおい。
定吉、言われたとおり青黄粉を買って帰ってくるが、
いくらかき回しても泡なんか出るはずがない。
何を入れれば泡立つのか?

定吉「椋の皮なんかどうでしょう?」
ご隠居「そうだ定吉、椋の皮と教わった。」
金馬さんの噺では、この小僧と隠居さんのやりとりが面白い。

椋の皮とは洗剤として乾物屋で売っていたくらいだから、
かき混ぜたら泡は出るだろうね。
水でも泡がブクブク出るんだから。
泡をふうふう飛ばしてからでないと飲む事ができない。
その上、渋くてまずくて飲めるもんじゃない。
青黄粉だけだったら、まずくてもおなかは壊さなかっただろうけど、

これを2人で風流だ風流だって飲んでたんだから、
おなかが下って仕方がない。
「定吉~、おむつは乾いたか?」と情けなく声を出す隠居さん。

隠居は夜通し16度もトイレに通ったとこぼす。
定吉は一回だ。
さすが若いなと感心すると、
「一回入ったきり出られなかった。」(笑)

「しかし、こう、下っ腹に力が入らない、体がふわ~っとして…風流だな。」
この「風流だな」という言葉がなんともおかしい。

この後、孫店の豆腐屋、手習いの師匠、頭を呼びつけ、
強制的に茶の湯を強請する。

これはマズイ。しかし、口直しにかぶりついた羊羹は旨い。
隠居は近所の人まで茶の湯でもてなした。茶は不味いが羊羹は美味いぞと、そのうち羊羹泥棒が始まった。
これえはたまらないと、今度は菓子を手作りする。

まず、皮をむいたサツマイモを蒸かしてスリコギであたり、
蜜を混ぜて、型には黒い灯し油を付けて型抜きし、
「利休饅頭」して客に出した。
つやがあって外見は旨そうだが、これはマズイ!
客は激減する。

そんなところに飛んで火に入る夏の虫…
昔のお客がやって来て「何も知らないので茶を教えてほしい」と所望があった。
「何も知らない?ではどうぞ」と、いつもより多めの青黄粉と椋の皮を入れて出した。

お客さん知らずに『お茶?』を口に含むと、飲めるものではない。
あわてて、『利休饅頭』をふたっつも口に入れたがこれがまたマズイ。

饅頭を袂に入れたが、やがて黒い油がにじみ出してくる。
我慢が出来ずに「お手洗いを拝借したい」と言って席を立って逃げ出した。
このベタベタしたものを捨てるところは無いか?
探したてはみたが、庭は掃き清められて捨てられない。
ふと前を見ると垣根の向こうに畑があった。
ここなら良いだろうと饅頭を投げると、それが畑仕事をしているお百姓さんの顔に当たった。
 お百姓さん怒ってそれを取り上げると…「また、茶の湯やってるだな」

これがオチ。みんな畑に捨てていたというわけ。

この噺、たぶん先代の小さん師匠、もちろん、テープで金馬さん、後はラジオで文朝師匠の噺も聴きました。
軽く、ある種の爽やかさを感じさせる芸風の人の方が面白い。
定吉が生意気に聞こえてもいけないし、ご隠居の知ったかぶりも度を越すと嫌味になる。感情移入がしにくくなる。

その点で金馬さんの芸は平易で最高である。
ラジオで聴いた文朝さんの定吉は金馬さんのそれよりより可愛かった。
今「茶の湯」の名手は誰になるだろう?

小朝さんかなあ?

頑固で可愛いご隠居、少し生意気でこまっしゃくれた小僧の定吉、3軒長屋の気のいい住人、そしてオチに登場するお百姓。

春風のような芸風の噺家さんがこの噺をやれば、
嫌味もなくクスリと笑えるかなあと思うしだいです。

2009/01/16 03:03 | Comments(0) | TrackBack() | 落語

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